どうして「書く」に触れる時間が少なくなってしまったんだろう?2つの致命的な特徴とは?
この記事での主張
最近はYouTubeに一番力を入れているのですが、今日は久しぶりに「書く」ということに向き合ってみました。
僕たちは、日々、何かしらの形で言葉に触れています。
話すことはもちろんそうですし、「書く」「聞く」といった形で言葉によるコミュニケーションを試みていますよね。
だが、この3つを比べてみたときに圧倒的に割合が少ないのは「書く」によって言葉に触れている時間ではないだろうか?
世の中を生きているほとんどの人は「書く」ということを1日に大量にこなすことはありません。
それこそ、コピーライターや記者さんみたいな言葉の専門家や、小説家や論評価など書籍を記すことそのものが仕事になっている人じゃない限りは。
あとは、こうやって文章を書くことで情報発信しているような人たちですかね。僕は大体1記事3000文字〜4000文字で書いています。
日によって2記事とか3記事とか書いたりするので大体1万字弱書いていることになるのですが、ほぼ日常的にこれ以上の文字を書いている人は、果たしてどれくらいいるんでしょうね?
人にあったときに、あるいはどこかへ遊びに行ったときに「話す」「聞く」ということはほとんど自動的におこなうのに、
「書く」という行為は意識しないとなかなか実行に移せない。
日常の中で「あたり前」として認識されていないのが現状です。
「書く」という行為の致命的な特徴
なんで「書く」だけ「話す」「聞く」の2つよりも頻度が少ないのか。
その理由は大きく2つあると思っています。
順番に解説します。
1.「書く」という行為が他の二つに比べて1STEP多い動作だから。
「話す」「聞く」ということはその対象さえいれば、声を発したり受け取ったりすることができます。
つまり、自分が生来持っている「声」という機能を使った完結型の行為ということができるんです。
それに対して「書く」には「書くための道具」を必要とする。
自分の頭を使って、言葉を紡ぎ出すという完結した行為を道具によって媒介する必要があるので、その分「道具を準備する」という1段階を加えないといけないんです。
オフラインで紙に「書く」のであれば、媒介するのはシャーペンとか鉛筆だし、オンラインで執筆するのであれば、スマホやPCだったりしますよね。
ちなみにこのコラムはMacBookProを通して書いているので、
パソコンが「書く」を媒介していることになります。
この1STEP。
簡単そうに見えるんですけど、簡単ではないというのが少し厄介。
なぜか。
「書くのに道具を必要とする」ということは同時に「道具がなければ書けなくてもしょうがない。」という思考に陥りやすいからです。
僕自身も、今でこそこうやってコラムを書いたり、記事を投稿したりしているけれど、文字を書くことを始めたばかりの頃はほんっっとうに腰が重かったんです。
腰に1トンの重りがついているんじゃないかと言うくらい。
過去自分のブログを運営していたときは、1記事書いてふうっ!となり、次の記事を書くのが1ヶ月後なんて言うこともありました。
おかげであっさり挫折してしまう・・・
ということを実は3回くらい繰り返していたりします。
それくらい1STEPの差は大きいんですよね。
2,「書く」ということがそれほど重要なことだと思っていないから。
もう一つはそもそも、僕たちにとって「書く」ことがそれほど重要だと認識していないからということです。
前述のように、書くことには少なからずハードルはあります。それに、
他二つに比べたら時間を要する行為ですよね。
現代の社会では、あまりにも効率やスピードが重視されすぎて、
「書いている暇があったら直接伝えろ」
「メールするくらいだったら電話しろ!」
「ごちゃごちゃ言わず、考えず、とにかく行動しろ!」
と言うような刹那的なコミュニケーションの方が求められています。
厄介なことに、その言葉を発している本人は正しいことをしており、刹那的なものばかりを求めているとは、夢にも思っていないことが多いです。
近年、某感染症をきっかけにリモートワークが流行り始め、テキストでのコミュニケーションが当たり前になってきました。
しかし「書く」ことが当たり前になっていないせいか、今テキストコミュニケーションにはさまざまな課題があります。
ざっとあげただけでもこのくらい。
一言で言うと、「速く書くこと」に重きを置きすぎて「意図が正しく伝わるか」を考慮していないメッセージになってしまっているんです。
一度立ち止まって相手の立場に立って「書く」ことを考えないと、こう言った思考を持つのは難しいです。
相手の立場に立って「書く」ことを考えるためには、まず自分が何を考えているのか、何を言いたいのかを自己認識する必要があります。
自己認識の精度を高めることも「書く」を通して自分を見つめることで可能ですが、ここから目を背ける原因の一つにSNSがあるんじゃないか、と思うんです。
例えば、Twitter。
僕たちは普段から、140文字以下というごく短い言葉で、そんなに強く思っていないことをなんとなく発するということにあまりにも慣れすぎています。
何ら意味のない呟きをすること自体が悪いことだとは言わないです。
むしろtwitterという英単語は「つぶやく」という意味ですし、
Twitterのツイート画面でも「いま、どうしてる?」という文言があります。
つまり、日常の細かい一コマ一コマや、その瞬間思ったことを発信するのがTwitterの根本思想であり、土台となるものなんです。
けれど、そういった刹那的な思考に慣れてしまうがゆえに、あえて時間をかけて深く考えたり、長い文章を書いたり、自分の意見を載せた文章を書いたりするということが日常生活でも少なくなってしまいます。
その人が普段発する言葉から、「その人自身」が。
つまり、個人の考え、趣味嗜好、価値観などのオリジナルのものが見えなくなっているように思えてしまうんです。
十人十色という四字熟語がありますが、これでは十人一色。
全員Twitterの水色に染められてしまっているようなものなんです。
(Twitterだけが原因ではないですが、ここでは例としてあげてます。)
日常生活でも深く考えることなく、そして仕事でも刹那的なコミュニケーションばかりが求められ続けていると、やがて「書かなくてもいいや」という考えに落ち着くようになってしまいます。
「書くこと」の魅力
僕は、書くことには「話す」「聞く」ということとは違った魅力や効果がある、と考えています。
それらこそが、自分の意見を深め、発し、自分というものを積み上げていくことの楽しさや重要さを認識する上で、
そして何より「書く」を通じて人の関係やつながりを作っていくために、大切なことだと思うんです。
今回は少し長くなってしまったので、この辺で終わりにして、
また別の機会で書いてみようと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!!
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