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自分の人生を生きるために、文章とアウトプットに向き合う。

自分は記事を、文章を書くことが苦手だ。そう思っていた。タイピング速度は人並み以上にはあるけれど、いざ記事を書こうと思うと、手が動かない。

少し書いたと思えば、なんか納得いかなくて描き直してしまう。
そうこうしているうちに、何時間も経ってしまい、結局既定の時間までに仕上げることかなわず・・・

こんなことを何度も繰り返してきた。

けど、何度も繰り返すうちに、原因はもっと前にあるんじゃないか?と考えるようになった。つまり、記事を書く前に「文章」「文字」というものにどれくらいまっすぐに向き合っているかということだ。

散々使っているくせに普段の生活の中で、「なんとなく」で文字を消費して消費していることには自分自身ではどうしても気付きにくい。

この記事では何も考えずに生きているとスルーしがちな「文章」「文字」=アウトプットと言うことについて考えてみる。

僕はここ最近、記事という形で文章を書くことが多いのだけれど、同じように日常的に文章を書く人にも、普段そんなに文字を書かないよ!って人にも是非読んで欲しい。

きっと、何かしら引っかかることが出てくるはず。
この先さらに加速するであろう動画時代だからこそ。

ぜひぜひ文字で読んで欲しいのです。

普段、どれくらい勉強していますか?

これを読んでいる皆さんはどうだろう?

まず、そもそも、日常的にある程度の文量を描く人ってどのくらいいるのかな?

世の中の読書量は年に6冊未満だとか、社会人の勉強量は週に4時間未満とかいう情報は聞いたことはあるけれど。

そういえば「文章をかく」ことをクローズアップした情報はあんまりみない。それほど「書く」ということは世の中であまり注目されていないのだ。

ブログからYoutubeへ。メディアの転換

おそらく、主な原因の一つに動画コンテンツが流行ってきたという時代背景もあるのだろう。

以前は個人レベルで展開できるメディアといったらアメブロやMixiなどの「ブログ」が主流だった。けれど、通常のYoutubeだけではなく、切り抜き動画やTiktokなど、短時間でも楽しめる動画が続々と出てきて、見る側も作る側も動画に対するハードルがかなり下がってきた。

さまざまなジャンルが娯楽として楽しめる点では喜ばしいことなのだろうが、その一方で、どうも、「文字に主体的に向き合う」時間が減っているような気がしてならない。

動画には(テロップを除けば)文字情報がほとんどないので、何も考えないでもみていられるのだ。何も考えていないけど、なぜか「楽しい」「嬉しい」「面白い」。

脳は快楽物質を出していき、視聴時間はどんどん増えていく。
いつの間にか、外が明るい。もう朝だ。
あなたは何度経験しただろうか。


確かに、自分の生活を振り返ってみても、昔はもっと紙の本で小説を読んだり、本屋さんに立ち読みに行ったり(読みすぎてしまったのは、ごめんなさい・・・)していたように思える。

印象に残っているのは、立ち読みしながら詰将棋を解いていたら、いつの間にか何時間も経ってしまっていて、気がつけば「蛍の光」が店内に流れていたことがあった。

それくらい本に貪欲だったはずなのに、最近はいつの間にかベッドで寝転んで動画をみていることが増えている。蛍の光は今やブルーライトの光に置き換わってしまった。

一時的にYoutubeをスマホから消しても、気がつけば再インストールしてしまっていて、自分でも驚いた。それほどまでに、自分は「動画漬け」になってしまっていると気付き、プチ自己否定になりそうだった。

一種の麻薬みたいに、どこまでも脳を思考停止に陥れる娯楽の仕組みを作ったYoutube社は、もたらしてくれた幸福以上に、大事なものを奪っているような気がしてならない。

文章をかけないと自分の人生もなくなっていく。

少し話がずれてしまったので、路線を戻そう。

「文章を書く」ということについての話だった。
動画という「麻薬」に支配されてしまっていると、そのうち日常生活自体も受動的になり、文章に触れることがなくなる。

最終的には人生から主体性が失われていってしまうのだ。

もう少し簡単な言葉で言うと、「自分で考えたり感じたりすることが少なくなり、自分の望み通りの人生を生きられなくなる」と言うことだ。

他人が敷いたレールを不満を言いながら歩くことになったり、あるいは、レールから外れたまま、世界の果てまでドロップアウトすることになる。

どちらにせよ、自分の人生にとってマイナスなことが多くなる。
それって単純に嫌だよね。

今振り返ってみると、高校〜大学での自分がまさにこれだった。高校生の頃からスマホを持たせてもらって以降、動画やスマホゲームに触れる時間が文字に触れるよりも増えたおかげで、笑うことが以前よりも少なくなった。

それどころか、一時期は鬱ではないけど無感情・・・そんな時間が確かに増えていた。

いや、もしかしたら、鬱だったのかもしれない。
だけど、周囲の人と話すことがなかったので判断しようもなく・・・そのくらい当時は酷かった。

コンテンツをただ消費するだけのロボットみたいで、「自分」と言う存在は皆無だったのだ。もし、普段から文字に触れることが日課になっていたら、文章で自分の気持ちの整理を行ったり、人に伝えたりと言うこともできたかもしれない。

それくらい人生を左右するのが「文章」。ほとんどの人はこういったことを理解せずに動画を見ているので本当に注意が必要だ。もちろん、過去の僕への自戒も含めて。

インプットとアウトプットの関係


文章を書くのは「アウトプット」だ。アウトプットのためにはインプットは当然必要なので、セットで考えてみる。

主体性が失われた生活では、初めにそもそものインプットの量が少なくなる。さらにいうなら、思考停止しているのでインプットの全体的な質自体も必然的に下がってくる。

質と量、両方にバッドステータスがついてしまっている最悪な状態で、質と量の議論以前の問題だ。この状態で文章を書く=アウトプットしようとしても当然うまくいかない。

量が足りていないので、経験自体が少なく、どうやったらいいかわからない。質が足りていないので、これでいいのかな?と不安になる。

加えて、「短時間」を求め、求められてきた世界に生きているせいで、無意識のうちにアウトプットにも「スピード」を求めるし、求められるようになる。個人差はあるにせよ、世の中の風潮が「そう」である以上、少なからず影響は受けているはずだ。


しかし、当然バッドステータスを抱えたままではうまくいかない。当然といえば当然で、マラソンで言えば、50kgのおもりを背負ってフルマラソン走るようなものだ。亀仙人の修行じゃないんだから、そんなことやるなよ!!って感じ。

(突然ドラゴンボールネタを突っ込んですみません。
ドラゴンボール初代のネタです。)

そりゃあ、感情もアイデアも思い浮かばなくなるわけだ。パソコンの前でうんうんと唸っていても素材が悪いのだからどうやっても手は動かない。

仮に手が動いたとしても、出来上がるのは歪でみていられないような作品。世の中に出すにはどうもためらわれる・・・。

結果、アウトプットしようと思っても結局は途中で挫折してしまうことが増えるんだ。長年手をさびつかせていると、気がついた時にはもう動かない。

できないから「自分は文章が苦手だ」といった能力の問題にしてしまう。

そうじゃないんだ。能力じゃなくて普段からの悪習慣の蓄積でしかないんだ。生活習慣病かなんかと構造は同じ。過去の僕にも、僕と同じ悩みを持っている人にもここにまず気付いてほしいなあ。

文章に向き合い、アウトプットするために。

ここまで、かなり長くなってしまった。
「結局どうすりゃいいんだよ!」とお待ちの皆さん。すみません。

生活習慣病と同じなら、それを治しておく過程も同じです。
つまり、「1つ1つ日常に向き合い、意識する」こと。

動画ひとつ見るにしても、
「なぜ自分がこの動画を見たのか」を考えてみる。

twitterの投稿にいいね1つ押すにしても、
「何が楽しかったのかな?」と自分に問いかけてみる。

まずは、自分の心の中で「感じる」ことを増やす。感情・感性の引き出しを増やすこと。それがあって文章でのアウトプットへの挑戦権を獲得することができる。

一方通行のまっすぐな抜け道。文章はこういって作られていき、地道な文章の積み重ねが、例えば、記事という形になっていく。

これがアウトプットであり、自分の人生を主体的に生きるということだ。

そうなれば、背中のおもりも自然と降りていくはず。荷物を下ろして顔を上げた後に広がる世界は、きっと少し違う色になっているだろう。

少なくとも、自分はそう感じた。今まで背負っていたものが自分の中に吸収されていく感覚かなあ。不思議だ。

まだまだ、先は長いけど。

まあ、ここまでなんやかんや書いてきたわけですが、これを書いている僕自身もまだまだアウトプットの道なかば。ゴールはどこにあるんでしょうね?

ベンチャーに勤めていようが、大企業に勤めていようが、自営業だろうが誰だろうが、決して安定なんかしていない恐ろしい時代。迷いながら、ふらふらしながらでも生き抜いていくために、「文章力」は必ず必要になってきます。ひいては文章力を使って記事を書くということは、自分に必ず返ってくる。

そんな感じ。やるかやらないかはあなた次第だけど、僕は、あなたと文章を交わしたいと心から思っている。それだけは確かだ。

Note本編からはみ出た言葉。

普段のNoteとは別で、Tatsumi Diaryというマガジンを発行しています。
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短くさらっと読める内容ですので、いつもと違った文章を読んで見たい方は
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語り屋タツミ
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