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【#6】想いを文章にするのは、自分の目を届けること

自分が思ったこと、感じたことを文章として届けることを最近の日課としている。日課という言い方は良くないな。趣味です。

義務ではなく、純粋に「楽しむ」ことを目的にひたすら手を動かしています。水泳とかランニングが体の運動なら、文章で思いを書くことは心の運動とでもいうのかな。

とにかく、自主的に運動しているんです。

文章を書くなんて、小説家だったり、ジャーナリスト、コピーライターなど文章を書く専門の人に任せておけばいいじゃないか!という人がいるかもしれないですね。

確かに、少し前の時代だったらそうだったかもしれません。

まだスマホが流行っておらず、情報の拡散源はテレビがメインだった時代は、1個人の声なんてほとんど無力でした。

学生の懸命で悲痛な叫びが、何万人に応援されて大きな力となり行政を動かすことももちろんありませんでした。。

何かやろうと仲間を集めるにも、文章を何百万人に同時に届けることなどできず、人のツテを辿りながら何とか「それっぽい」人たちをかき集めて実行していくしかありません。

適材適所とは言い切れないまま起業した結果、うまくいかず短期間のうちに撤退する企業も多かったことでしょう。

けれど、現代、令和の時代。インターネットをはじめとするIT技術のおかげで情報の拡散度はどんどん高まっていき、ついには「一億総発信時代」なんて呼ばれるようになってしまいました。

発信の手段も数知れず。スマホやパソコンを使えば簡単に世の中に文章を届けることができるし、文章に思いを載せればお金を集めることもできる。

昔よりも明らかに文章の重要度が高まっている。

当たり前に思うかも知れませんが、意外と気づいていない人が多い・・・なんて偉そうに語っておきながら僕も気づいていない方の人たちの一部だったんですけどね。

1年半くらい前にフリーランスになってから「伝える」ことに向き合い続けた結果、どうやら流行っている動画よりも文章の方が根源的に大切なのでは?と疑問を持つようになりました。

というのも、個人で発信する文章が持つ性質でもあり魅力に気づいてしまったからです。

タイトルにもある通り「自分の目を届けることができる」ということ。

「自分の目を届ける」というのは、「自分が世の中のものを、人を、現象をどう捉えているか、どういう価値観を持っているかを相手に伝える」ということです。

目を通じて認識する自分の視点というのはどうやっても他の人には味わい得ない、唯一無二のものですよね。

写真と同じで、ひとつひとつ世界の切り取り方が違う完全オーダーメイド。

自分にしか味わえないもの = オンリーワンのものは必ずでフリーランスという自由な世界を生き抜いていく上での武器になる。

確定ガチャみたいなもんです。
身につければ強いのが確定している専用武器。

だから、インプットしたことは、なるべく世の中になんらかの形でアウトプットした方が、長い目で見た時に、なんらかの形であなたに返ってくるんじゃないかなって思います。

最近はジョンなことばかり考えながら生きています。


社会のレールから外れ、多数派から抜け、数限りない人しか頼ることができなかった僕にとっては文章が持つこの性質はとてもありがたいものですし、

一つの武器として身に付けなければ生きていけないと確信しています。

なぜなら自分の目は、完全オリジナルのものだからです。

そして、日本語が読める人になら誰にでもアプローチで切る可能性を秘めている。何億人もいれば少しくらい、僕の文章に引っかかって反応してくれたり、連絡してくれたりする人がいるかもしれない。

心からそう信じている。

僕も僕の文章も唯一無二のもの。かけがえのない大切なものなんだ。それを共有して、楽しいねって笑いあえたら、きっと生活はもっと幸せになる。

そんな素敵な世界になればいいと心から思う。

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語り屋タツミ
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。