自分のせい他人のせい
小藪千豊という人物は、お笑い好きなかたは私が紹介するまでもなくご存知ではないだろうか。かつて入団4年目という異例の速さで吉本新喜劇の座長に就任し、最近では東京吉本へ移籍しTV番組でも活躍中の芸人さんである。
最近では在京ばかりではなく全国ネットの番組でも目にすることが多くなった。特に共演者への辛辣とも言える歯に衣着せぬ物言いで、視聴する側にとっては好みの分かれる人物であると思う。
私も、必ずしも彼の全てを受け入れ好ましく思うわけではないにしろ「さすが遥か静岡にも届くあの吉本新喜劇の座長を務めたほどの人物だ」と関心したエピソードがある。
それはあるTV番組の中でのことで、出演者(当然ながら誰もがいわゆる芸能人であり、お笑い芸人と呼ばれる方々も参加していた)が業界でのあるある話をするような内容であったと思う。
その中で、あるお笑い芸人さんが「面白かった、また頼むよ」と言ってくれた番組プロデューサーがそれっきり一度も読んでくれない、という話をした。
お笑い芸人という立場からすれば、TV番組への出演は単に収入へ直結する仕事というばかりではなく全国へ名前と芸を売り込むチャンスであり、「また」などと言われてしまえば期待するなと言う方が無理なことだろう。
しかし、そんな彼に対して小藪氏はこう言い放ったのだ。「それはお前が悪い。おもろかったら呼んでもらえる。呼んでもらえないのはおもろないお前のせい」一字一句この通りとは言えないが、このような内容ではあったはずである。
そのお笑い芸人さんの名誉のために書いておくが、彼は決してつまらないわけではない。主に漫才を行うコンビ芸人で、かつて開催されていたM-1グランプリでは優勝経験こそないものの、出場すれば必ず準決勝以上でさらには最高4位という成績は決して悪いものとは思えない。私も彼らのすべてのネタを見知っているわけではないが、TV番組に彼らが出演すると知れば、ならば見てみようかと思う程度には好きな芸人さんである。
しかし芸人、芸能界という世界は厳しい。上を見ても大御所と言われるベテランは数多く残っているし、下からも新人は毎日のように数多く参加してくる。そのような中では、たとえ彼のような実力者であっても多少のことではなかなか安泰とはいかない。
我々とて同じではないか。noteならずとも、仕事、学校で、あるいは普段の生活でも人は常に競争に晒されている。
そういった中で、どこまでやるのか、どこまでやればいいのか。道は険しく、壁は高い。周囲に認められるばかりではなく、自分が納得できるために、どれほどのことをしなければならないものだろうか。いっそのこと全てを放り出して逃げてしまえば楽になれるのかもしれないが、そういうわけにもいかないのが人生というものである。せめて明日の荷が軽い事を祈るとしよう。
人の人生は重き荷を背負い
坂道を登り行くようなもの
三河じゃんだらりん物語/作詞:山本正之
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