アドベント2018

noteアドベントカレンダー2017 12/2 クリスマスまでに

「2番線に回送列車が通行いたします。黄色い線の内側までおさがりください」

 流れるアナウンスに気づいていないのか、いつものように彼女は生気のない表情のままホームの端、線路近くを歩き続ける。終電近いホームには人影もまばらで、そもそも他人を気にかけるほど余裕のあるものもいないようだった。ぼ……俺以外には。

「危ない!」
咄嗟に伸ばした指はどうにか彼女の腕に届き、そのままこちらに引き寄せた。勢い余って倒れそうになったが必死でこらえる。倒れたりしたら、まるで、俺、が、非力みたいじゃないか。なんとか倒れずには済んだが、彼女を抱きしめるような形になる。

 身長差があるために、漫画のように勢いで……というような状況にはならなかった。普段の生活ではほとんど触れる機会のない女性の体はとても柔らかく、花のような、何の花かと言われれば困ってしまうがとにかくいい香りがして、離れたくないな、と思ってしまう。

「あの……」
回送列車が通り過ぎたあとで、彼女の声にはっと我に帰る。慌てて離れ、電車に接近しすぎて危険だったことを伝えたが、彼女はまだ状況がのみこめていないようだった。でもまあ、無事で良かった。

「怪我ないよね?ぼーっとしてちゃダメだよ」
彼女の顔を下から覗き込むようにして何の気なしに言った言葉だったが、彼女の目に涙が溢れ、一筋の流れとなって頬を伝った。これはもちろん予想外のことだ。

 なんとか彼女をベンチへと誘導し座らせる。彼女は、俺が差しだしたハンカチを見て初めて自分が泣いていたことに気づいたように見えた。涙を拭くと落ち着いたのか、礼と詫びの言葉を口にした。こんな時にはさっさと帰ってしまえばのかもしれないが、彼女の様子も気になる。また名残惜しくもあり、思い切って彼女の隣に腰を下ろす。

「すみません、気を使わせてしまって」
彼女の言葉に首を振り、気にしないでと返す。しかし気の利いた言葉の一つも浮かばず、さてどうしたものかと考えていると彼女の方から話しだした。それは俺に聴かせるというよりも、むしろ自分自身の確認のためであったのかもしれない。

  自分のいまやっている仕事が、あまりうまくいっていないこと。好きでやっているはずなのに、効率を考える作業のようになってしまっていて、楽しくないこと。今日もミスをして、上司に怒られたこと。その時の言葉が「ぼーっとしてちゃダメだよ」だったこと……

「大変なんだね」
こんなときに「みんな頑張ってるんだから」「自分だけが辛いんじゃない」などと言うのは逆効果だと、身を持って知っている。しょせん他人だからと無責任なことを言うわけにも行かず、慎重に言葉を探す。

「ミスをしたっていうのは、挑戦したっていうことなんだ」
自分がいつでも簡単にできることを繰り返しても、成長はない。仕事ならば仕方のない部分はあるのかもしれないけど、生きていくために必要なこととは限らない。だから、好きなことでもうまくいっていないのならば一度立ち止まって見ることも必要ではないだろうか。もしかしたら後戻りのように見えても、それも必要なことだってあるかもしれない。より高くジャンプするためには、膝をかがめて体を沈めなければならないように。

 今の彼女の状況に必ずしも合致しているかといえば、実のところ自信はなかった。しかし彼女には伝わったようで、さっきよりも目に生気が戻り、表情が動いていた。そう思いたかった。

 やがてホームに入った電車は今日の最終で、もちろん二人とも乗らないわけには行かない。ホーム同様に空いた車内に乗り込むと、暖房が入っていて温かかった。彼女はシートには座らずつり革を掴み、座ると寝ちゃいそうで、と笑った。彼女の隣に立って窓の外を眺める。

「お話聞いていただいて、ありがとうございました。ハンカチ、洗ってお返ししますね」
「いや、別に……」
返さなくても、と言いかけて思い直す。”それ”を狙ったわけではないが、彼女に近づくというかむしろ近づいてきてくれる、お近づきになれるチャンスを逃す手はなかった。後になって思い返せば奇妙なことだが、不思議とどちらも連絡先を交換しようとは言い出さなかった。自分の方は、どうせまた数日のうちに会えると思っていたからだ。今までと同じように。

 お互い毎日同じ駅を、ほぼ同じ時間帯に利用し、同じ電車内に居合わせることもあったのだから、はっきり約束はせずともそれほど間が開くということもないだろう。実際、終電間際のこの時間に彼女を見かけない日はかなった。逆に言えば、あまり時間はないとも言える。先に降りた彼女を見送ってカレンダーを確認し、新たなスケジュールを入力する。

 今年最後の目標は、彼女を笑顔にすること。クリスマスまでに。



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