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うるう年にきみと

 偶然出会ったふたりが自然の流れの中で当然のように付き合い始めたのなら、別れは必然だったのかもしれない。以前の僕は、そう考えていた。しかし、だとしたら。この突然の再開は何を意味するのだろうか。

 まさしくここがその場所であると思い出したのも、今まさにすれ違わんとした道行く人が彼女であるということに気づいたものの、とっさにかける言葉も思いつけずに動きを止めてしまってからだった。同じように動きを止めた彼女は気づいているだろうか。

「久しぶり。元気だった?」
「ええ、あなたは?」
お互いにようやく口から出せた言葉はそれほど独創性のあるものでもなかったが、この状況では特にそんなものは必要でもなかっただろう。そのまま当たり障りのない言葉を重ねているあいだに観察するようにして見た彼女は、あのころとそれほど変わっていないように見える。老けた、などといっては失礼だろう。こちらも同じだけの年月を過ごしているはずで、それを差し引いても彼女はまだ十分に、少なくとも実際の年齢よりはかなり若く見えた。

「今年は誕生日がないの」彼女がそう言ったのは何年前だったか。少なくとも4の倍数ではないはずだ。あれから彼女は何度の誕生日を過ごしたのだろうか。そのとき誰か隣にいたのだろうか。そうか、今年は……今日は。

「あのお店、なくなっちゃったね」
彼女の言葉に、僕の意識は過去から現在へと戻される。彼女も気づいたらしい。ここが、あのとき一緒にケーキを食べた店があった場所だと。
「ああ、そうだね」
再開発で建て替えられたビルを見上げても、かつては休日ともなれば客が長い行列を作っていた人気のケーキ店の面影は少しも残ってはいない。

 あのときは彼女のその言葉を聞いてすぐに、慌てて人気の店を調べて「寒いから外に出たくない」などと言う彼女を半ば引きずるようにして出かけたのだった。ちょうど日曜日ということもあり店にはやはり長い行列が出来ていて、並んでいる間も彼女はずっと文句を言っていた。やっと店内に入ってふたりで食べたケーキは、個人的な好みから言えば少し甘すぎたのだが彼女の好みには合ったようだったし、そうは言ってもさすがに待っただけのことはある味で「また来ようね」などと笑いあったものだ。その約束は、さて何度はたされたのだったか。

「ねえ、聞いてるの?」
彼女の声が聞こえた。
「変わんないね。そういうとこ」
誰かとの会話の途中でさえつい自分の考えに沈み込んでしまうことは、彼女からも何度も指摘された自分の悪い癖であると思ってはいても、一度身についてしまったものはそう簡単には治りはしない。たとえそれを繰り返したことで恋人を失うことになったとしても。

 一緒にいて沈黙が気にならない相手は相性がいいのだそうだ。しかし、一方的にそう思っているだけで相手が自分に合わせてくれているということにすら気づけなかったのは僕なのだから、どんなに些細なすれ違いであっても回数を重ねていくたびに彼女の不満はたまっていったのだろう。その結果として疲れきった彼女が僕のもとを去ったことに関しては、たとえ僕には僕の言い分があったにせよ恨むことなどできはしないだろうし、そのつもりもなかった。

「ごめん、なんて言った?」
彼女に謝るのも久しぶりだ。以前は毎日のように彼女に謝り、そのことによってかえって彼女をさらに怒らせたりもしていたものだ。
「もう!今時間ある?って聞いたの!」
「そうだな……」

 実のところ、考えるまでもなく時間はあった。彼女とまた出会えたことはうれしく思うし、離れていた間のお互いの話もしたい。しかし、彼女はどういうつもりなのだろうか。ただ懐かしくて昔話をしたいだけなのか、それとも……

「今日、誕生日だよね?おめでとう。ケーキ、食べに行こう」
思い切って誘ってみる。
「覚えていてくれたんだ!ありがとう!」
喜色をあらわにした彼女の、あのころと変わらない懐かしい笑顔。
「そりゃあね」

 他人の誕生日などにそれほど強く興味を持てない僕でも、四年に一度という日ならば。冗談めかして誕生日がないなどと言ってみせた彼女の、笑っているはずのその顔が、泣き顔に見えた日ならば。

 彼女を見る。
「ん?」
どうしたの?と言葉には出さずに問いかける、あのころと変わらない瞳。

 一度別れたはずの相手とまた付き合う、いわば”よりを戻す”こと自体に抵抗があるわけではなかったが、自分自身大して変わった自覚もないのだから結果もまた同じになるのではないかという危惧は当然のことだろう。それに、彼女がそうしたいと思ってくれている保証もなかった。ならばこれは賭けだ。もしこの賭けに勝てたのなら、彼女と、また……

「ところでさ」
「なに?」
聞き返す彼女に笑いかけ、続ける。あの時と同じ言葉を。
「ケーキにろうそくは何本……」
言い終わる前に踵を返して駆け出す。
数秒の間は驚きのためか、それとも迷いか。

そして、彼女は。

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