それはそれ

僕は続けられない

 日記を書く。まず何を書くだろうか。普通は。他の人は。もともと有名になろうとか大金を稼ごうとか、そういうつもりで始めたnoteではない。もちろん、少しは興味があった。ちょっとだけ。いやほんとに。

 noteでは、自分で自分に値段を付けられる。さて、何を書けばお金をもらうに足るのだろうか。頂く金銭の代わりに差し出せるものは何だろうか。知識か経験か頭の中にあるものか、或いは何らかの創作物か、そう考え続け、結局何もなかった。キリー・ギャグレイの自伝ほどにも無かった。何か専門的な知識を身につけておけばよかったのだろうか。何か資格を取得しておけばよかったのだろうか。大学にでも進学し、教育を受けていればよかったのだろうか。

 noteをはじめインターネットでの、この名前「ぶんちゃん」での活動を知っている人たちと、いわゆる「リアル」の知り合い、本名や経歴を知っている人たちとが全く重なっていないのをいいことに、かなり偉そうなことも好き勝手に書いてきたのであるが、この文章を読んでくださっている皆さん、いわば「赤の他人」であっても「見られている」という意識は私にとってはどうしても越えられない壁であって、どこかでどうしてもブレーキがかかってしまっている。

 他の人もそうなのだろうか。noteに限らずブログサイトなどで「日記」的なものを読むときに、考えることがある。「今日はこんなことがありました」というだけで終わるものは、何のために全世界に向けて公開しているのだろうかと。その時どう思ったのか?周囲の反応は?その後どうなったのか?そんなことは一切書かずに。それは、ブレーキをかけた結果なのだろうか。

 画像も店舗の情報もなく(自宅なのかもしれないが)「肉うめえ」の一言をツイートしただけで何百何千とイイネやリツイートが貰える有名芸能人ならともかく、そもそも存在すら知るものはいなかったであろう我々である。それ自体が直接お金をもらえる情報となるわけもないだろうが、まず自分がどういう人間であるか知ってもらうことが必要なのかもしれない。自分に興味を持ってもらうために 次の投稿を読んでもらうために。

 

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