閲覧注意・地震の話
そのとき僕は、TVから流れる故郷の映像を見ながら「僕らの世界は崩壊した」なんてキャッチコピーのテレビゲームのことを、ぼんやりと思い出していた。
4月14日21時26分頃に熊本県熊本地方で発生した地震(前震)は、震源の深さが11kmで気象庁マグニチュード(Mj)が6.5[6]、モーメントマグニチュード(Mw)が6.2[9]と推定されている。熊本県益城町で震度7を観測した[6]。
気象庁が1949年(昭和24年)に震度7の震度階級を設定して以降[10]、日本国内における震度7の観測は、2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に続いて4回……
(.wikipedia http://u0u0.net/tldhより)
こんなことを検索して見たところでどうにもならないことはわかっていた。TVから流れる映像、専門家の解説、避難所の窮状……思い出とは一変した故郷。かつてあれほどつまらなく思い、一日でも早く離れたいと思った場所。念願かなって東京の大学に合格し、この春からの新生活。新居(というほど大げさなものでもない安アパート)にも入り、バイト先も決まり、授業も始まった。なれない環境で知り合いもおらず、全てがうまくいっていたわけではないけれど、たいていのことはこれからどうにでもできると思っていた。そのときまでは。
大きな災害の時には電話はかけないほうがいいなんて話はよく聞くけど、いざ自分がその状況になればそんなことは考えていられない。電子メールや、ましてやLINEなんて触ったこともない両親の無事をなんとか確認は出来てもTVで「余震続く」なんてニュースを見てしまえば「こっちは心配いらないから」なんて言われてそのまま信じる気には、到底なれなかった。大丈夫なはずなんてない。
一方で、たとえ九州で地震が起こってもそれで東京の大学が休講になどなるわけではない。どこに居ようと腹は減るし、食うためには働かねばならない。昨日はたまたま休みだったが、今日はバイトが入っている。
「休んでもいいぞ」店長はわざわざ電話してまでそういってくれたが、休んだからといって帰れるわけでもない。お金は何とかなっても橋は落ち、道路は寸断されている。新幹線も脱線して止まったままだ。それに、もし帰れたとして何ができるというのか。ただ無駄に避難所を圧迫し。支援物資を食いつぶすだけでないのか。「そばに居るだけでいい」と言ってもらえるほどのものを、自分は持っているのだろうか。
「来たからには、しっかり働いてくれよ」バイト先の先輩たちに、そう言われなくてもやるつもりではあったけれど、不安はある。こんなことをしていていいのだろうか、なにか他にできることはないか。そんなことが頭のなかをまわり続けて止まらない。しかしそんなことはお構い無しにバイトは始まる。
あれほど離れたかった故郷なのに、なぜバイト先に選んだのはここだったんだろう、と自問しながら。
銀座熊本館
http://www.kumamotokan.or.jp/
*銀座熊本館にアルバイトのかたや「店長」がいらっしゃるかとかは未確認ですすみません。