慣れるまでの時間をどう潰すか。
赤ちゃんのいる老人介護デイサービスの機能を実装したいと、多くの相談を受けています。
遠方の施設でも、一度施設を案内していただいてキーになる方と面談させてもらえれば、以降はテレビ会議のような形で、伴走することができます。IT革命!!(←いまさら)
ご相談ください。
このような取組自体も実験の一環としてではありますが、感触としては良いなと感じている。
その中で、最近多い質問としては、「利用者と子どもたちが馴染むにはどうしたらよいか?」というもの。
今回は、馴染むとか慣れるについてもう一度考えてみようと思う。
「忘れがちな、時間の経過の認識」
いつの頃からか、「待つ」という行為が苦手になってきた。
ベタな表現ではあるが、欲しいモノはすぐに手に入る。わからないことは検索できる。やり方やレビューみたいなものはYOUTUBEにすべてある。本当に便利だなと思う。
そのせいか、どうしても苦手な作業が増えた。
例えば、ボンドで木を接着するみたいなこと。
僕は、昔からこの工程が苦手であった。
ボンドをつけて木を固定して、1日待つ。
待てない。15分くらいしか待てない。
なんなら、そんな内容のYOUTUBEを飛ばしながら7分くらいみて、目の前にある木をくっつけるという作業のモチベーションは消滅する。
良くないのは、ボンド自体も15分くらいでまあまあ接着できました的な雰囲気を出してくることだ。
そんな時、僕はもういいだろうと次の工程に進む。
そして、なんだかボワっとしたものができあがる。
「ひとつだけでは多すぎる」
このとき、僕が、木を接着するという行為しか持っていないと、それをずーっと意識してしまうことになる。
なので、同時に3つくらいの作業を持って忙しくしていたり、全然関係ない世界に誘い込んでくれる仲間がいたりすると、このような事態を避けることができるのではないかと思う。
「ひとつだけでは多すぎる」
そんな表現を、「思考の整理学」という本で見つけた。
ひとつだけなのに多すぎるとはどういうことだ?と、腑に落ちなかったが、奥さんに話してみると、「表現そのままじゃん!」と言われた。僕とは思考のパターンが全く違うのだと思った。
じっくり考えてみると、ひとつだけでは多すぎる。まさに。と思った。
BOOKOFFで非常に安くなっていたので、購入してみたらよいかもしれない。文章の書き方は、ちょっと硬め。
「ねらって、仕掛けて、忘れる」
赤ちゃんや子どもたちとお年寄りを混ぜるには、当然ながら、時間が必要である。知り合いになる時間。
これを忘れてしまうことが結構ある。
大きなねらいを定めて、あとは馴染んだり、慣れたりする時間を過ごす。
可能な限り、「ねらい」を忘れさせてくれるような日常が展開していくと、非常によい。
ある瞬間に気付くと、がっちりと木が接着されていた。みたいにね。
また書きます。
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