人類史の覇権争奪戦
こんにちは。Jammyです。
今回は人類史の覇権争奪戦ということでこれまでの覇権国家の歴史についてまとめようと思います。
まず覇権とはということですがずばり、支配権です。支配権の源泉はなんでしょうか。
徳?品格?
違います。
答えは金と力です。
つまり国で言えば、経済力と軍事力です。
今日の覇権国家であるアメリカもこの観点から見ればとても納得いくと思います。
徳や品格も重要ですが覇権国家においての絶対条件ではありません。
ちなみに中国はGDP世界2位、軍事費も、世界2位です。それはアメリカも焦るわけですね。
覇権争奪戦の歴史
ニーチェは「人間の本質は権力への意志である」と言いました。会社に入れば出世競争が始まり、目指すは社長です。起業をすれば徐々に順位を上げ、あわよくば業界の1位を取りたいと思うはずです。それは国も同様です。
人類の歴史を見ると常に覇権争いが起こってきました。
ポルトガル対スペイン
16世紀、二国は植民地獲得競争を繰り広げていました。両国は世界各地で戦っていました。そこにローマ法王は調停に入ります。「スペインは新大陸(南北アメリカ)、ポルトガルはアジアを治めなさい。」
ポルトガルは東洋貿易を独占し、中国と日本とも、通商を開始しました。一方スペインは新大陸に進出し、アステカ帝国、インカ帝国を滅ぼして中南米のほとんどを支配下におきました。中南米には大量の金銀が眠っており、また現地人を奴隷化していくことにより、スペインは次第にポルトガルを圧倒していくようになりました。
スペイン対オランダ・イギリス
しかしスペインの栄光も長くは続きません。毛織物業中心地とネーデルランドが独立戦を起こし、1581年に独立します。またら1588年イギリスとの戦争にも敗れ、スペインは没落していきます。
オランダ対イギリス
1602年、オランダは東インド会社を設立し、世界に進出。各地でポルトガル・スペインと争い、勝利します。アムステルダムは世界経済の中心になっていきます。一方イギリスは1600年に東インド会社を設立。オランダとイギリスは世界各地で小競り合いを繰り返し、三次にわたる英蘭戦争の末、イギリスが勝利しました。以後オランダがふっかつすることはありませんでした。
イギリス対フランス
英蘭戦争から休む間もなく、イギリスはフランスとの争いが激化していきます。フランスはイギリスがすでに植民地においていた地域に進出していきます。しかし、アン女王戦争、ジョージ王戦争、フレンチインディアン戦争、プラッシーの戦いに勝利しフランスを大陸から駆逐します。こうしてイギリスの世界覇権を決定的にしました。
イギリス対ドイツ
ビスマルクで有名なプロシアは1871年周辺諸国を統一し、ドイツ帝国を成立、著しい成長を遂げ、欧州の強国となりました。
1914年に起こった第一次世界大戦の主役はイギリスとドイツでした。敗れたドイツでしたがヒトラーの登場により、復活。世界恐慌を克服し、世界第二の経済大国にしていきます。世界を統治することを目標に臨んだ第二次世界大戦でしたがまたもイギリスに敗れました。
ただこの第二次世界大戦はヨーロッパ全体を没滅させる形になり、結果、時代は米ソの冷戦時代に移行していきました。
その後、ソ連は没落しました。そこからアメリカの一極化時代に突入するわけですが、近年、中国の成長により、時代の転換期にあるのです。
以上です。読んでいただきありがとうございました。