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時代によるユダヤ人の考え方の変化

オムリ:聖書の意味と歴史、つまり、紀元後の世界において、聖書が与えた影響と、ユダヤ人との関係に興味があります。例えば、神殿崩壊後の各地のシナゴーグにおいて、ユダヤ人はアラム語を話していました。ですから、聖書をヘブル語からアラム語に訳する必要がありました。すると、本来の意味が翻訳することにより、変化してしまうので、そのユダヤ人の考え方も変化してしまうのです。その聖書の解釈が、各時代、各地域においてどのようだったか、研究したいと思っています。

マタイ5:17-20   わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。 18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 20 まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。

オムリ:この聖書の箇所は有名な箇所です。しかし、多くのユダヤ人たちは違った考え方をしており、イエスは聖書を取って、それを完全に変えて、イエスは「律法を守らなくてもいい」と教えていたと思っています。しかし、実際イエスは、聖書のことばを保存し、大切にしています。そのことを多くのユダヤ人が知ったら、イエスに対する考え方が変わるでしょう。

このように開けたユダヤ人がいるとは驚きましたし、JJHOPで一緒に新約を読んでくださってる導きを主に感謝しました。

オムリ:AD100頃、イエスの最初の弟子たちは、ユダヤ人たちでした。その彼らが、ユダヤ教に多くの良き影響を与えていたと思います。なぜなら、当時はまだユダヤ人とイエスの弟子たちは同じところに住んでいたからです。ユダヤ人がキリスト教を嫌いだとしても、キリスト教がユダヤ教に影響を与えている事実を無視してはいけないと思います。

Luke 16 :17 しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。
Rom. 3 :19   さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。 20 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。 

オムリ: これらの聖書箇所は知りませんでした。

和恵: 律法の目的は何だと思いますか?

オムリ: 私たちを赦すためではなく、私たちの罪を示すためですね。

和恵:神殿でいけにえを捧げていた頃のユダヤ人たちは、罪の意識を持っていたのだと思いますが、でも、いけにえを捧げる神殿がなくなってから、それがなくなっていったのかもしれません。それは、私が接しているユダヤ人のほとんどが、罪の意識を持っていないからです。罪の意識がなければ、メシアは必要ではないですよね。

オムリ:AD70の神殿崩壊後、安息日などの小さな事は残りましたが、いけにえをささげる、つまり、罪の赦しという大きなことはなくなってしまいました。罪については、クリスチャンとユダヤ人の間で、大きく違いがありますね。

和恵:ですから、オムリが興味を持っている分野に、私もとても興味があります。特に、神殿崩壊の頃に私達の考え方を巻き戻すことにより、私達が目指すべきところが明らかにされるように思います。日本語の聖書も、言語とはかなり意味が違います。オムリの研究内容をお聞きすることを楽しみにしています。

by 井村光志

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