聖霊に逆らう冒涜は
Matt. 12:31 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。 32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
オムリ:ユダヤ人は、聖霊をほとんど信じていません。でも、新約では、それが大事だと書かれていますね。そして、ここにあるイエシュアを否定しても許されると言われたら、クリスチャンは怒りませんか?でも、この箇所はユダヤ人にとって、かなり受け入れやすいです。これは、いつ言われたのですか?赦される罪と赦されない罪があることを教えたいのでしょうか?
和恵:十字架にかかるかなり前です。ここだけ見ると随分とユダヤ人に協調したような意見に見られて、イェシュアを受け入れやすい感じがしますね。
John 16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
和恵:そして、ここにはイェシュアが十字架に掛かり復活した後、生きて天に挙げられた後で、聖霊によって力が与えられることも書かれています。この意味をどう考えますか?
オムリ:とても興味深いです。でも、私には答えがすぐに見つかりません。でも、罪の赦しのための捧げものになったことに関連がありそうです。
Luke 24 :44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」 45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、 46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、 47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。 48 あなたがたは、これらのことの証人です。 49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」
和恵:ここで、イエシュアは、旧約聖書の預言の成就だということが書かれています。だから、自分を信じなさい、と言っているのではなくて、旧約聖書にかかれていることを信じなさい、と言いたいのではないでしょうか?
和恵:旧約聖書には、聖霊について書かれている箇所がたくさんありますね。以前も一緒に読みました。
詩篇104:30 アサーと、バラーの違いを教えてください。
アサーは、サラダのように、有るものから組み合わせて作ること。
オムリ:バラーは、神様しかできないrenew、創造です。御霊によって起こることです。
和恵:詩篇51:10 ダビデ王は、自分が罪人であることを自覚していました。
だから、「どうか私をバラー新しく創造してください。」と祈りました。ダビデ王は、聖霊が自分の心をきよめ、新しくしてくれると、知っていました。
他にも、「聖霊」あるいは「神の霊」が出てくる聖書箇所を和恵さんがオムリに伝える。すると、オムリは、「へぇ〜、そうなんですね。知らなかった。とてもおもしろいですね。」
ですから、イエシュアは、新しい宗教を提唱したのではなく、ユダヤ教の神を尊重したのです。
By 井村