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アミット 山上の垂訓の感想

アミットは、冒頭の挨拶で、今後どうしたいか、ということについて、「多分、宣教師になりたい。」と言ってくださいました。確かに、アミットはメッセージを作るのが好きですし、語学の賜物があります。彼の心の中に芽生えた小さな芽が、いつかイスラエルと日本に根ざした大樹へと成長することが楽しみです。どうぞお祈りください。

下記は今回アミットがお話した山上の垂訓の感想です。

山上の説教はイエス様のメッセージの本質を捉えているだけではなく、十戒を補完しています。戒と禁止事項だけが書かれた十戒とは対照的に、山上の説教は積極的な行動を強調しています。ですから、これを読むことによって信者は天の御国に入るために何が必要かを知ることができます。

シナイ山でモーセに与えられた十戒は、特定の行為を禁止することで道徳的な枠組みを提供していています。これらの戒めは、倫理的な行動の基礎となる役割を果たしています。

しかし、イエス様の説教は、戒めの意義を強めるだけでなく、正しい生き方を提示することで、さらに一歩踏み込んでいると思います。ここでイエスは、謙遜、憐れみ、平和を作るといった特徴を強調する教えを紹介しています。これらの教えは、信者に善と義を追求するよう示しています。

十戒の否定的な禁止から、山上の説教における肯定的な行動への転換は重要です。

それは、より良い人間関係と社会の創造に積極的に貢献することを信者に促すものだからです。イエスの教えを実行することで、個人は悪いことを避けるだけでなく、より公正で、思いやりがあり、調和のとれた社会を築くことに積極的に参加することができるからです。

私が好きなのは7節と9節です。

7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。
9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

マタイ5章7.9節

この山上の説教は同じパターンで書かれていますが、全ての節で、前半は条件、後半は報酬を表しています。7節と9節で、イエスは憐れみ深い者と平和をつくるために積極的に働く者には、憐れみをうけること、神の子と呼ばれる、という報酬を与えると約束しています。

これによってイエスは、人々が自分自身を大切にするだけでなく、社会の中で共に生きる人々をも大切にすると言っています。イエス様の戒めを行うことで、社会はより良く、より公正な場所になるのです。

10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。

マタイ5章10ー12節

10-12節では、同時に、イエス様は義を行うことや、イエス様の教えを伝えることの難しさも知っておられるので、たとえそれが苦しみをもたらすものであっても、彼らは祝福され、天国に行くことができるのだから、心配する必要はないと信者たちに語っています。        以上


アミットは、このところ、かなり多忙でした。大学のレポート提出の準備の中、大阪みぎわチャペルや、エレベートチャーチも帰国のご挨拶として、訪問してくださいました。それで、この作文を土曜の夜に書いてくださったのです。ちょっと無理をさせてしまったかなと反省しました。

それでも、アミットから、「正直、最初はエネルギーがなくて大変でした。でも、礼拝が始まるととても楽しかったです。礼拝を通して力をもらいました。」と言ってくださいました。多忙な中、来てくれたアミットに本当に感謝しています。が、それに主が応えてくださって、礼拝から彼の魂に力を注いでくださったことに感動しました。やはり、礼拝の"味"を知ることができたのは、大成功だからです。

礼拝の中で祈りを受けるアミット

それには、今回の礼拝は、賛美リーダーのあきくんがヘブライ語の賛美を入れてくださったり、澤口先生が、アミットを囲んでの祈りや賛美も多くして、御霊が豊かに働くように、導いてくださったことにあります。このレベチャのメンバーの神殿としてのチームワークによって、人の心が主に触れられるという流れが本当に素晴らしいと今回も実感しました。さすがJJHOPの母体だけあると思うのが澤口先生率いるレベチャなのです。(自画自賛でしたらスミマセン。🙇‍♀)

私も働きの一部をさせて頂き、お祈りで送り出して頂き、本当に感謝でした。2月6日から(これを書いている明日)イスラエルに行ってきます。

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