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イスラエル訪問記:主が開かれた新しい扉 ―ヘブライ大学からメシアニックジューとの出会いまで―

JJHOPのエルサレム祈りの家に滞在することが出来て、心から感謝いたします。

私は大分県日出町(ひじまち)にて教会開拓を始めて、まだ一年と2ヶ月が経ったところですが、不思議とその間にメシアニックジユーやユダヤ人が教会に来て祈ってくれたり、証をしてくれる機会に恵まれました。

サンライズコミュニティチャーチ ヤコブ先生とイガル君の訪問

その中でもJJHOPの石原和恵さんが、ヘブライ大学の学生のペレス・ハダリさんを連れてきてくださったり、ナザレで牧会しているメシアニックジューのヤコブ牧師と信徒のイガルくんを連れて来てくださったりしたのがきっかけで、今回は私がエルサレムに行かせていただきました。

シャバット入りのキャンドル点灯

私にとってイスラエルはこれが3回目で、これまでの2回はツアーで行きましたので、予定が自由に組める訪問はこれが初めて、1週間ほどの滞在でした。

行く前には、2023年10月7日以来、連日のようにイスラエルの戦争のニュースが流れていましたので、多少不安もありましたが、ついてみると全く危険な目に合うこともなく、最初から最後まで平安のうちに過ごすことが出来ました。

むしろ、聖書の舞台として出てくる場所に建つエルサレムの記念教会や史跡は、ほとんど観光客がおらずどこも貸し切り状態でした。まさに奇跡的な恵みともいえるのは今ならではのまたと無いチャンスと言えると思います。

マグダラから見るガリラヤ湖

今回の滞在を通して、これまで感じていたイスラエルやユダヤ人との距離が一気に縮まりました。同じ終わりの時代に生きる私たちに、主はすでに新しいことを始められていて、たった1週間でしたがそれを受け取ることが出来た旅でした。

今回の滞在の目的は大きく3つありました。

一つ目は、ヘブライ大学の人文学部学部長であるニシム教授との面会です。

ニシム教授は大分県の国東市(くにさきし)というところで開催されている「ケベス祭り」に興味を持ってくださっていました。

きっかけはJJHOPの石原和恵さんが、ヘブライ大学のハダリさんと一緒に大分に来てくださったときのことから始まります。国東市は、日本人で初めて聖地エルサレムを訪れた記録が残っているペテロ岐部カスイという神父の出身地です。彼は江戸時代の方ですが、壮絶な殉教の死を遂げられました。遠藤周作氏の『沈黙』の映画のモデルにもなられた方です。いまはそこに記念公園があるので、石原さんとハダリさんを連れてそこに車を運転して行く時のことでした。


ペテロ岐部の記念公園

私が「この近くでケベス祭りというのがあるんですよ。」と伝えると、石原さんとハダリさんがすぐにケベスはヘブライ語の羊であることを教えてくださいました。それも本来は神殿に捧げられる羊だと言うのです。(今はイスラエルに神殿が無いので、食べる専門とのことですが。)ご存知のとおり、聖書には旧約聖書にも新約聖書にもたくさんの羊が出てきます。

ケベス祭りは地元の方でも、いつから始まったのか、ケベスにどんな意味があるのか分からない、奇祭と言われるお祭りです。かねてより神道に与えられている聖書の影響に興味を持っていた私は、ケベス祭りは何かそれを紐解くきっかけになるかも知れないと思いました。

そして石原和恵さんがイスラエルに行かれる際に、私が書いた『大分とユダヤ人の隠された繋がり』という小冊子を持っていって頂き、ニシム教授に渡して頂いたのです。ニシム教授のご専門は日本にある神道や仏教なども含めて様々な宗教に関わる文化の研究ですので、すぐにケベス祭りにも興味を持ってくださいました。

ニシム先生にお渡しした私が執筆した本

そのため、実際に大分に来て頂いて研究していただくために、ニシム教授にお会いしに来たのです。

ニシム教授は京都大学で学位をとっておられたり、日本に6年ほど住んでいたことがあります。そして日本人の奥様がいらっしゃることもあって、日本語がペラペラ(流暢)に話せました。

30分の予定の面会が、1時間以上もお時間を頂く事ができ、ケベス祭りだけではなく、大分に残るユダヤ人の宣教師ルイス・アルメイダの功績や、お神輿が始まったのは宇佐神宮であることなど多岐にわたってお話しができました。

結果的に、来年の10月、ケベス祭りの時期に大分にまで来てくださる予定を入れてくださることになりました。

ここでまず感じたのは、主がJJHOPに与えてくださっている備えの凄さでした。
ヘブライ大学は国立大学でイスラエルではナンバーワンとも言われる大学です。日本で言えば東京大学のような存在です。大学の創立時にはあの物理学者アルベルト・アインシュタインや、心理学者ジークムント・フロイトも加わっています。

そこの学部長であるニシム教授が、日本語が流暢に話すことができ、毎年のように日本に研究に来てくださっているのです。さらに日本の宗教的なことに興味を持ってくださり、もちろん私たちがクリスチャンであることも理解してくださっています。そんなニシム教授から公認して頂いてJJHOPの働きがあり、さらに今度は日本の霊的な研究まで共にして行けることになるのです。

ヘブライ大学のニシム教授のオフィスにて

これは、日本人サイドから神道の影響における旧約聖書の研究をするのとはまた違う、大きなブレイクスルーになる可能性を感じています。

主は、JJHOPに「この人しかない」というような人物を与えられて、イスラエルと日本の関係において、教会や牧師の繋がりとはまた違った、国立大学の研究というユニークな方法で新しいことをなさろうとされているのを感じました。

二つ目は、ナザレにあるメシアニックコングリゲーション、ヤコブ牧師の教会訪問です。ヤコブ牧師は前述のようにJJHOPを通して大分に一度来てくださっていましたので、再会することを楽しみにしていきました。
ナザレはご存知のとおり、イエスキリストの受胎告知がされた場所であり、主が幼少期から公生涯までの約30年間を過ごされた町です。そこにメシアニックジューの教会をされていると言うことで、どんな場所でどれぐらいの方が集まっているんだろうとワクワクして行きました。

礼拝は土曜日に行われます。日本のクリスチャンが日曜日に礼拝するのとは違い、ユダヤ人である彼らの安息日は土曜日で、礼拝も同じ土曜日でした。
会堂は外から見ると倉庫のような頑丈な建物で、中に入るととても広いスペースがありました。

会堂に入ると15名ほどの信徒がいて「シャバットシャローム!」とお互いに握手をしながら歓迎してくれました。そして礼拝開始時間が近づくに連れて続々と人が集まってきます。最終的にはなんと礼拝に50名以上が参加されるまでに増えました。お年寄りから、お子さま連れまで幅広い世代が参加されており、皆さんメシアニックジューです。また、初めて来られる方も前で挨拶をしていましたが、2名の方が来られていました。

ナザレ 私の救いの岩コングリゲーション

ヤコブ牧師がロシアから帰還されたこともあり、ロシアやウクライナから帰還したユダヤ人が多く、礼拝はロシア語とヘブライ語を中心に行われていました。

賛美やお祈りは、立ち上がってされる方も多く、中には手を挙げてジーザスのことを褒め称え、私たちと同じように聖霊の臨在に触れる空間がそこにもありました。

私と一緒に行かれた増山牧師と挨拶させていただきましたが、これほど多くのメシアニックジューとお会いしたのは全く初めての事であり、大きな感動を感じました。

ヤコブ牧師の礼拝メッセージは、私たちの座っている側に来てくださった方が英語で少し翻訳してくださったのを聞くぐらいであまり理解できませんでしたが、主が来られることへの備えに対するメッセージでした。ノアが箱舟を作っているときも、ソドムとゴモラが滅ぼされるときも、主からのメッセージを周りの人は真剣に受け止めなかったが、それは本当に起こった。私たちもいつ主がまた来られても良いように備えていくことの大切さを語られていました。

ナザレシナゴーグチャーチ

礼拝の前後で、若い信徒の方にナザレやガリラヤ湖まで案内をしていただきながら彼らの証も少し聞くことが出来ました。
ある信徒は、軍にいる時に2年ぐらいかけて少しずつ聖書のことを教えてくれる同僚がいて、最後にはメシアはジーザスということを教えてくれたそうで、自分は真理を知りたかったので、なんでもっと早くそう教えてくれなかったんだと思ったそうです。
また、アラブ人のクリスチャンもこの教会に通っていて、彼は実家がカトリックなのですが、そこに生きた信仰を感じられずに、あるときにジーザスを知ってボーンアゲインして、いまはこの教会に通っているそうです。そしてユダヤ人とアラブ人のクリスチャンが仲良く礼拝を捧げていました。

余談になりますが、今回の旅での収穫の一つは、ユダヤ人とアラブ人も仲良く暮らしていることが肌で感じられた事です。エルサレムには確かに若干の緊張感もあるかも知れませんが、日常生活においては、同じバスや電車を使い、またナザレにおいては特にアラブ人とユダヤ人の仲の良さも感じられました。ガザ地区に代表されるアラブ人とユダヤ人の対立は、政治的な犠牲としての問題が大きいのではないかとさえ感じました。

ナザレ突き落としの丘から見える風景

ヤコブ牧師の教会に行って分かったことは、メシアニックジューがこれほどたくさん集まる教会があると言うことと、また彼らの伝道やイスラエルへの帰還者によってその数は増えてきているということです。
ヤコブ牧師の娘さんたちは、ミッショントリップでインドなどにも伝道しに行っている話も聞くことができました。
ユダヤ人がユダヤ人に、そしてユダヤ人から異邦人にも福音を伝えているという、まさに使徒たちの時代の再来がイスラエルに存在しているのを目の当たりに出来たのです。
ユダヤ人の救いのために祈っている私たちの祈りの実りがまさにここにあるのを感じることができました。

そして三つ目の目的が、JJHOPに集うヘブライ大学の学生との交流です。大分に来てくれたハダリさんはとても純粋で素晴らしい若者で、彼女のように日本に興味を持ってくれて、新約聖書もともに学びたいと言ってくれるような学生が他にも本当にいるのだろうかと思っていました。

帰国前の前日、JJHOPには15名ほどのヘブライ大学の若者たちが集まりました。皆んな、JJHOPで日本語を話したい、日本のことをもっと知りたいというのが目的です。今回、初めてJJHOPに来る若者から、もう6年も前からJJHOPと繋がっている若者まで、みんな好意的に私たちを受け入れてくれました。

そればかりではなく、私がなんで牧師になったのかを個人的に興味を持ってくれた女性もいて、証もすることが出来ました。
彼女たちには神様との個人的な関係が新鮮でもあり、喜んで聞いてくれました。

彼らの中には日本語が流暢に話せる人もいれば、まだ殆ど話せない人もいて、交わりは日本語と英語を交えてです。

私はハダリさんにヘブライ語への通訳をして頂いて10分ほどで簡単な自己紹介と大分の魅力の説明させて頂きました。日本人のクリスチャンがイスラエルを愛し、イスラエルのために祈っていることを初めて聞いた学生もいましたし、前述のユダヤ人の宣教師アルメイダの功績やケベス祭りのことも興味深く聞いてくれました。また、温泉や日本の自然、食べ物などのことも楽しんで聞いてくれたように感じました。

彼らの中には来年日本に訪問する予定がもう決まっている人もいて、「大分に行って、あなたたちの教会に行ってみたい」と言ってくれる若者もいました。

また、皆が集まる時間よりも前に来て、石原和恵さんに「新約聖書を学びたい」と来られた方もいました。彼女の一番の動機は日本語を学びたいということなのですが、そんな彼女に対して石原さんが、JJHOPの働きや一緒に新約聖書を読む目的をとても上手く、またはっきりと説明しているのを横で聞かせて頂いてとても感動しました。

石原さんは学生の彼女の信仰的な背景を聞きながら、過去にクリスチャンたちがユダヤ人を迫害してきたことのある歴史を認めて謝罪し、でもその多くはカトリックのクリスチャンたちによるもので、私たちの日本のプロテスタントのクリスチャンは貴方達を愛していていつもイスラエルのために祈っていること、また彼らに信仰の強制をせずにあくまでまず友達として関係をつくっていくことを伝えていました。また、もし彼女が日本に行くことがあったら、貴方はイスラエル文化の大使として日本に行くことになるから、日本の教会に行ったらユダヤ人からみて新約聖書がどんな風に感じられたのかなどもメッセージをして欲しいということを伝えていました。ユダヤ人の彼女は、謝罪を受けて、老人世代の人たちはカトリックの迫害によって傷ついたかも知れないけれど、自分たちはそれで傷つけられていないと言うこと、またシャバットやコーシヤなどを守ってはいるけれど一般的なユダヤ教信仰を持っていること、新約聖書を彼女たちユダヤ人の観点から共通点など教えてくれることに同意して、これから新約聖書を学んでいくことを楽しみにしていましたし、そういう環境にエキサイティングしていると言っていました。

ヘブライ大学の学生たちとの交流で感じたことは、「世代とともに時代は変わってきている」ということです。
これまで、ユダヤ人が持っているクリスチャンに対するイメージが、「迫害されてきた対象」という印象が強く、どちらかと言えばユダヤ人に対する申し訳無さや遠慮を感じていました。
でも、私が接してきた彼ら若い世代にはそのような拒絶反応は一切感じられません。日本のことをもっと学びたい学生たちということもあり、また、これまでJJHOPがつくってきた彼らの先輩たちとの繋がりや証から、むしろ日本のクリスチャンや教会に対してとても好意的な印象を持ってくれているのです。

ヘブライ大学の学生が集まる交流会

彼らはユダヤ教の文化で育っていますが、習慣としてそれを守っているため生きた信仰がそこに存在しているかと言えばそうではないように感じました。むしろ、これまでのJJHOPでの集まりや先輩の証、新約聖書の学びを通して、日本人クリスチャンの生きた信仰と個人的な神様との関係に触れることで、自分ももっと信仰のことを知りたいと思っている人も少なくありません。私も途中からは、人生の意味や、神様との個人的繋がりに飢え乾いている日本の若者たちに接するのと同じように話をさせて頂きました。そのような話も彼らは喜んで聞いてくれるのです。彼らは新約聖書を学び、旧約聖書との共通点を見い出し、新しいクリスチャンとの繋がりをつくってくれる新しい世代になると肌で感じることができました。

今回の3つの目的を全て果たすことが出来たのは、他ならぬJJHOPのミニストリーのおかげです。ここまで来るのにどれほどの祈りと努力と犠牲があったかと思うと、計り知れないほどの献身によって作られたものだと感じました。JJHOPの和恵さんと育恵さん、またJJHOPを支える皆さまに心から感謝致します。

またJJHOPに繋いでくださった、21世紀キリスト宣教会の佐藤優子さんにも心から感謝致します。

今回の旅を終えて、私自身も新しい時代の到来が始まっており、認識を新たにしていかなくてはならないことを感じました。私たち日本人はユダヤ人にとっても好印象を持つ民族であり、その日本人から日本のこと、さらには信仰のことを学びたい若者たちがたくさんいるのです。これはハダリさんが大分に来てくれてペテロ岐部の記念公園で一緒に祈った時に感じたことですが、日本が終わりの時代の最後のランナーとして残されているとよく言われる理由の一つとして、ユダヤ人の救いと関係しているのためであるかも知れません。なぜならクリスチャンが多い国でしたら、彼らユダヤ人がメシアを信じることのリスクを理解してあげることが出来ないからです。世界的にみても日本ほど殉教者の多い国は数えるほどしか無いと言われます。主は私たちの先人たちが流された殉教の血を一滴として忘れてはおられないと思います。私たち日本のキリシタン禁制の悲しい歴史と、いま私たちが持っている生きた信仰が、彼らにとってはメシアを信じるきっかけになるかも知れないのです。そして、彼らがイエスをメシアだと信じてさらに祈り求めるときに、主のご計画が終わりの日に向かって大きく動くことになります。そう思うと、私たちの働きは決して小さくありません。

ガリラヤ湖を望むアルベル山にて

"彼らの背きが世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らがみな救われることは、どんなにすばらしいものをもたらすことでしょう。"ローマ人への手紙 11章12節

私が今回イスラエルに行く前に思っていたよりもはるかに広く、このみことばの成就に向けて、門は開かれていました。これを読んでくださった皆様も、JJHOPを通して主のなさっている新しいことに参加されませんか?
今こそ、イスラエル行くチャンスであり、ユダヤ人にジーザスを紹介できる機会がこんなにもたくさん感じられるのですから。

"見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。"イザヤ書 43章19節

主が荒野に道を、荒れ地に川を設けてくださることを信じて、私も大分の地で日本とイスラエルの両国のリバイバルを祈り、これからも聖霊様の導きに従って動いて行きたいと思っています。

この度の主の守りと恵みに心から感謝して。

サンライズコミュニティチャーチ(21世紀キリスト宣教会 日出の教会)
牧師 和泉 大

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