王と神殿 一時的なもの、永遠のもの

ユダヤ人のモンタナのメッセージの内容です。素晴らしい内容なので是非ご覧ください。

ダビデは、永遠であると思えた、ソロモンの神殿も、結局崩壊していきました。永遠であるものは唯一、イエス様のみです。


下記は、動画の内容の議事録です。


神殿と王 一時的なもの恒久的なもの モンタナ
今週のトーラーポーションのテゥルマ תְּרוּמָ֑ה 捧げもの  (Exo. 25:1–27:19​) から

この箇所で、イスラエルの子が、幕屋を建てる律法を受け取る。

Ex. 25: 8-9
彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。 9 幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。


幕屋と神殿において、幕屋は一時的で、神殿は恒久的。
それと同じように、イスラエルの預言者と士師は一時的なリーダーで、王は恒久的である。

ベイトアラジームは、木材の家で アラジームは木の種類で、ダビデが自分の家を作った時には、ベイトアラジームと呼ばれた。
それは、


2 Samuel 5:11​
11 ツロの王ヒラムは、ダビデのもとに使者を送り、杉材、大工、石工を送った。彼らはダビデのために王宮を建てた。
2 Samuel 7:2
2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」
2 Samuel 7:7
7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか。

ダビデは、自分が木材の家に住んでいるのに、神様が幕屋の中に入っているのはよくないと言った。
ダビデがそれに気がついてから、神殿を作る律法を神様が与えた。
神殿を作った理由は、ダビデが望んだからである。

同時に、イスラエルが、王を選んだ理由は、イスラエルが望んだからである。
民はサムエル対して王をくださいと言った。だから、王に関する律法を神様は与えた。
それまで、イスラエルのリーダーは預言者だった。
それまでは、全ては一時的であったものを、神様が許して、恒久的なものを与えられた。

神様はどうして、こういうことをしたのか?
イスラエルが自分で頼まないと神様が動かないが、それはもともと神様が望んだことであった。
イスラエルは、その時々に必要だったリーダーを神様から頂いた。
しかし、恒久的な神殿を建てた時、また恒久的な王を選んだ時に問題が出てきた。
人が恒久的な場所にいると腐るということである。

イスラエルの必要に応じて、都度与えられたものは変わる。
以前は、幕屋が移動していた。
リーダーも、その時に必要なリーダーを神様から頂いた。平和の預言者、戦争な預言者など。

しかし、民は、恒久的な神殿、恒久的なリーダーを選んだ。

恒久的なリーダーになると腐るのは、この箇所で見える。


1 Sam. 2 :12
12 さて、エリの息子たちは、よこしまな者で、【主】を知らず、 13 民にかかわる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえをささげていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子が三又の肉刺しを手にしてやって来て、 14 これを、大なべや、かまや、大がまや、なべに突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。彼らはシロで、そこに来るすべてのイスラエルに、このようにしていた。 15 それどころか、人々が脂肪を焼いて煙にしないうちに祭司の子はやって来て、いけにえをささげる人に、「祭司に、その焼く肉を渡しなさい。祭司は煮た肉は受け取りません。生の肉だけです」と言うので、 16 人が、「まず、脂肪をすっかり焼いて煙にし、好きなだけお取りなさい」と言うと、祭司の子は、「いや、いま渡さなければならない。でなければ、私は力ずくで取る」と言った。 17 このように、子たちの罪は、【主】の前で非常に大きかった。【主】へのささげ物を、この人たちが侮ったからである。
John 2 :13
12 その後、イエスは母や兄弟たちや弟子たちといっしょに、カペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。 13 ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。 14 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、 15 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、 16 また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」 17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

2つの箇所で、これが恒久的な神殿あり、そこでの人が腐っていった。
祭司と祈りをしに来た人も、それを忘れて、こういうひどいことをした。
イスラエルの王様、ダビデ、ソロモンは立派な王様だったが、後に腐っていった。

神様は恒久的なものがあると腐ると分かっているのに、どうして、神殿と王を与えたのか。

キリスト教の答え。
人は最初から堕落している。
イエスは完璧で、彼の完璧さで救われる。
イエス様は人ではない。
だから腐敗しない、だからいつも人々に救いを与えることができた。
王と神殿は、どちらにしても、一時的なものであった。
その時、その場で、それが必要だったので、神様から受け取ったが、それも一時的だった。
最後の恒久的なもの答えは、もちろんイエス。


2Cor. 5 :21
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

これは、モンタナの考えだが、ユダヤ教の返事は、有名なラビ、ランバンによると、神様が犠牲を捧げる律法を民に与えた時には、神様に律法は必要なかった。
なぜ、それでも神様が私達に律法を与えたかというと、神様を理解しているからである。
だから、その時、その場所で正しいことを命令している。
故に、何千年前、犠牲によって神を礼拝するのは、それは当時は、当たり前だった。
今は、それは考えられないことである。


女と男が同じことができるのは当たり前だが、何千年前は、それは、ヘンだと思った。
神が私達を見ていて、その時に正しいことを命令している。
サムエルの時代、イスラエルが必要だったのは、王、神殿。

今は、何千年前と私達は違うことを信じている。
だから、過去のことは、理解することができない。
現代の私たちには、わかりやすい礼拝の仕方が必要だった。

John 4:20​ 私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」 21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。 23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。 24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

by 和恵


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