出エジプト記28章1~2節 祭司の装束と役割
先日ヘブライ大学の学生、ナオミとのバイブルスタディをしました!イスラエルが大変困難な状況の中ですが、JJHOP ではナオミや他の学生さんとのバイブルスタディが少しずつ再開しています。
ナオミと日本人側からは5人の参加者計6人での楽しい学び合いの時となりました。
いつもナオミはパラシャーから分かち合ってくれるのですが、今回は出エジプト記28章からでした。
大祭司であるイエス様を信じるクリスチャンにとって、またそのイエス様により祭司とされた私たちにとってとても大切な分かち合いの時だったと思います。
以下ナオミのメッセージを要約したものです。
祭司はきちんとした服を着る。ここで内側だけではなく外側も綺麗にしておきなさいと神様が言われています。
幕屋の中では内側も外側も綺麗でいないといけない。聖書でいつもこのことを見ることができます。内側がきよければ外側もきよいと聖書では言われています。天ものが地に表されるし、なので人々は神からのメッセージを外に表していく。
内側にあるものを外側に表していくことで他の人たちもこの人たちをもっと知りたい、この人の内側にあるものに興味を持つようになると思う。
神様が内側を見られるからと言って、外側を何もしなくてもいいというわけではない。両方大事。それは神殿にも現れている。
29節で、アロンが胸当てをするのは主の前でイスラエルの民族の名が主に覚えられるため。それはアロンの心臓のところに当てられるようにすると書かれている。
これはアロンが奉仕をする時はいつも神様を思うだけではなく、イスラエルの民を胸に抱きながら主に仕えるということを表しています。
祭司は神に使える存在でもあり、民にも使える存在でもありす。
一番きよいところ(至聖所)では、神様以外を忘れて神様のことだけを思うことは簡単。でもアロンは肩と胸にイスラエルの民族の名前をつけて、イスラエルの民を思い神に仕える。
それでは30節の後半、民の名を背負い裁きを担うとはどういうことでしょうか?
ユダヤ教において、祭司は預言者と同じ神を代表する人。神をこの地上に表す存在としている。大祭司が着飾ることは神様を表すために大切なこと。神様のきよさを表している。
大祭司は神様と共にイスラエルを導く存在でありながら同時に、神様の怒りからイスラエルを守るという役割もある。祭司は神様と一緒にイスラエルに怒ることではない。人の側に立つ。この点で間違いを犯してしまうこともある。
エリヤもそう。エリヤはエリシャに交代させられた。すごく偉大な預言者でいろんな奇跡をしましたが、最後まで神様の召しを完璧に全うしたわけではなかった。預言者、祭司に神様は人の側に立ちとりなす働きのみを求めている。
エリヤは2度神様の側にいるということを告白している。(10,14節)。
神の働きは大きな現象や働きの中にはなくて、微かな声の中にある。それを分からず結局エリヤの代わりにエリシャが立てられた。
私たちは神様の側につくことに一生懸命になろうとするけど、このときの預言者や大祭司のように、何が人々に必要で何を求めているのかを知って人の側に立つことも必要。神と人との間に立つ。
これはリーダーに必要なことだと思います!
書紀 中島倫子
通訳 田中咲
参加者、奈良恵、ロゼン紫恩