ナオミのパラシャ 五旬節 落穂拾いの律法 レビ記23:22
シャブオット五旬節の季節になりました。これは、小麦の収穫のお祭りです。ですから、この律法が目に止まる季節です。
ここから、農業には3つの大切なミツバ(律法)があります。
これらの律法は農業にのみ適用されるもので、他者が取るというオプションを提供するということです。これらは、行いにおいて善をするというユダヤ人的なものだそうです。
「大抵のミツバは『しなければならない』や『してはならない』となっています。が、ここでは違います。『わたしはあなたがたの神、主である』と締めくくられています。残しておいた穀物や落ちた果物は誰かに直接渡したものではなく、誰が持っていくかはわかりません。人が見ていなくても神は知っているということなのです。
また、ここで見られるように、ゲル(移民・寄留者)に対する律法も多く存在します。イスラエル人自身が以前はエジプトでゲルであったことを覚えて、ゲルを尊重するよう教えているのです。
ルツは、モアブ人という異邦人でありながらユダヤ教に改宗した最初の人物であり、まさに、レケットの律法をによって救われた人です。
現代のイスラエルでも、不要な物を道端に置いておくことで、必要な人がそれを持ち帰ることができる文化が根付いています。これは、レビ記の律法が示す神の愛と憐れみが、現代のユダヤ人の文化にも反映されていることを示しているのではないでしょうか。
ナオミは、このトーラーの律法が大好きだと言います。その理由は、この律法が金持ち優位でなく、貧しい人も公平に受け取れるからだそうです。律法において金持ちも貧しい人も同じなのです。
クリスチャンから、私達は、イスラエルのテーブルからこぼれ落ちてくるみことばをもらっているカナン人の女のようです。という言葉あり、あなたがたはテーブルから落ちてくるパン屑を食べているのでなく、同じテーブルについている、とナオミはお話してくださって、私達の心が温まりました。
この律法を通して、神は私たちに愛と憐れみの心を持つことを教えてくださっています。私たちも、この教えを胸に刻み、日々の生活の中で実践していきたいものですね。
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