ナオミのパラシャ 荒野にて ケハテ族とレビ族の相互理解(民4:17-19)
みなさん、こんにちは。今日は旧約聖書に登場するレビ族とケハテ族について一緒に考えてみましょう。
レビ族は、ゲルション族、ケハテ族、メラリ族の3つの家族から成り立っています。
それぞれの族には、神殿での奉仕のための特別な役割が与えられていました。
特に、ケハテ族は最も神聖な務めを任されています。祭壇に関する奉仕には、動物の屠殺も含まれていたと考えられます。他の箇所を見ても、レビ族の他の家族(ゲルション族やメラリ族)が動物の屠殺を担当していたという記述は見当たりません。
しかし、この特別な務めは、常に死の危険と隣り合わせでした。神の前に出る際に罪を持っていたり、間違った捧げ方をすれば、命を落とす可能性もあったのです。また、屠殺は忌み嫌われる仕事でもあります。
ケハテ族は、特別な務めを担う責任と誇りから、他の部族から距離を置こうとすることもあったでしょう。また、与えられた務めに専念するあまり、全体像を見失ってしまうこともあったかもしれません。
そんな過酷な状況の中で、神はケハテ族に、レビ族から離れないようにと強く命じられました。それは、神がレビ族全体で神に仕えることを望んでおられたからです。神の愛は、ケハテ族だけでなく、レビ族全体に注がれているのです。
だからこそ、ケハテ族は自分たちの役割を正しく理解し、他の部族の人々にもそれを理解してもらう必要があったのです。自分たちの仕事の意義を丁寧に説明し、理解と協力を得ることで、初めて彼らは危険から守られ、レビ族およびイスラエル全体との一体性を保つことができたのです。
これは、現代の宗教的なユダヤ人と世俗的なユダヤ人の関係にも通じるものがあります。律法の意味を丁寧に説明し、良好な関係を保ちながら導くことが大切なのです。例えば、世俗派の人たちはシャバットにバスが動くことを望みます。しかし、宗教的な人たちは、単にバスを止めることに努力する以上に、なぜそうするのかを説明し、理解を得ることが重要なのです。
神は、イスラエルの民が一つであることを望んでおられます。各部族や個人の役割を果たしつつ、民全体として協力し合うことが何より大切なのです。
教会でケハテ族の役割を果たしておられる皆様、レビ族全体やイスラエルの民のことを忘れずに、与えられた務めを果たしてください。教会でレビ族の役割を果たしておられる皆様、ケハテ族の重荷を理解し、支え合ってください。そして、私たち一人一人も、神と人を愛する心を持って、神の望まれる一致を目指していきましょう。
神の祝福が、皆さんと共にありますように。アーメン。💖
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