思案した10年
あの日から10年…それは長いのか短いのかも分からない期間だった。
10年前といえば、私は当時高校生だった。
慣れてきた高校生活を何不自由なく送り、3月11日に進学できるか浪人するかの電話が家にかかってくるとの事で、クラスメイトみんなソワソワして、ガラケーで
‘’先生から連絡きた?”
‘’私まだなんよ…落ちてたらどうしよ…怖いなぁ。”
なんて今からすれば本当に馬鹿げているというか、他愛のない何時ものやり取りをメールでしていた。
メールで
‘’これから集まらない?”
と1人が提案した14時30分過ぎを最後に連絡が途切れた。
私も皆も大阪に居たが、15分後に揺れが来て、
‘’今の地震揺れが大きかったね。大丈夫?”
と送ったが誰からも返事はなし。
TVを付けるがつかない。
5分少しして付いたのだが…目にした光景が信じられなかった。
頭が混乱した。
(これ、本当に日本で起こってることなの?)
(嘘でしょ?何処かの国の間違いじゃないの?)
現状を受け入れるのに時間がかかった。
現地の人は地獄絵図だっただろう。
生き地獄だっただろう。
私も私の家族もTVをつけたまま、呆然と立ち尽くしてテレビから流れる映像を見ていた。
‘’私、進学できるかな?”
そんな事言ってる場合じゃねぇよ。
ここに住んでる人達は、命からがら必死に逃げてるのに、何私らは呑気なこと言ってたんだ!
当たり前の生活なんてない事、あったとしても直ぐに破壊される事をこの時思い知った。
あれから10年。
出来れば被災地に赴きたかったが、持病がある上に金銭的余裕もない為、日々図書館にて3.11について勉強を重ねていた。
他にも、阪神・淡路大震災の時のように余震が続けば大地震が来るとか、エビデンス(根拠)はないが、地震雲が現れたり、動物の様子がおかしければ地震の可能性有りetc…研究やデータを集めた。
結果、直近で言えば和歌山の地震は履歴を見れば直ぐにやや大きめの地震が来ることは予想できたが、3年間となる6月18日の直下型地震…大阪北部地震は予測出来なかった。
見苦しい言い訳になるが、今まで揺れずに急に揺れたというのもあった。
ただ、地震についての備えは身につけていたので、揺れていても何とか這って襖や窓、ドアを開けて逃げ口は確保した。
成長できたかどうかは不明だが、更なる研究とこれは今の世の中難しいが、地域との連携も図っていきたいと思います。
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