自分が自分に近づく
面白いと思って見ていたYouTuberが最近見れなくなった。なぜなら、どうしてもそのYouTuberが「痛々しく」感じてしまって、「その人がその人じゃないこと」に対して不快を感じてしまうからだ。「無理してる」ように私には見えてしまうから。
最近、私は、人と話した自分の声を聞けるようになった。今までは、自分の声が嫌いで不快でどうしても聞くことができなかった。自分の声を残すのも嫌だったし、できなかった。自分に対しての「痛々しさ」が減ったから聞けるようになったんだと思う。
自分が痛々しく感じなくなったのも、世界と繋がれてる感じがするのも、自分が自分に近づいてるからだと思ってる。
生まれてからずっと自分なんだけれど。自分の中で外に出したらダメな自分がいて、そのダメな自分は自分の中でも迫害していたから。というより自分が自分をいちばん迫害していたのかもしれない。迫害されていた一部の私は私の中でも“ない”ことになっていた。本当は“ある”のに。
そんな私は、どんだけ人と仲良くなっても、私は私を出してないから【どうせ、本性知ったら離れていくくせに】【どうせ、ほんまの私なんか知らへんくせに】と思っていたんだろう。(無意識に)
意識的には思ってなかったから、だからなんでこんなに苦しいのか分からなかった。ずっと【人と深く繋がりたい】と思っていた。なんでって?私が人と深く繋がれてない実感があったから。
人によって出す自分は調節してたけど、自分の全部を出す人は一人もいなかったと思う。それは自分自身に対しても例外ではなく。
ピエロみたいだね。と他人に言われたこともあるし、人に接してる自分が違いすぎてどの自分が本当の自分が分からなかった期間が長かったような気がする。結局どの自分も自分で、どの人に接してる自分も自分だから、「その人といる自分の状態がいい」って軸で人を選んでいた。
趣味は嫌がらせ
迫害してた自分は、いたずらっこ、嫌がらせをするのが大好きな私の一部。自分の残酷な部分。
小学生の時、カエルが嫌いな友達に、両方の手にカエルを握りしめて隠して「どっちか選んで☺️」って選ばせて驚かせる。それをみてゲラゲラ笑っていた。
お母さんのスカートをわざと切って、ガチギレさせて(え、なんでそんな怒るの🥺🥺)って態度で内心「やっぱ怒った」ってのをやってた。
高校の時に告白してくれた男の子の友達に告白OKした後にめんどくさくなっちゃって「友達に戻ったら会うけど、別れてくれないと一生あなたとは会わない」って酷いことを言ってることを自覚して、言ってた。
恋人と別れるときは、私から「別れてください」って言うのが嫌で、相手に自分のことを嫌いになるように仕向けて、相手にふってもらう。ってことをしてた。
あーぁ…。いるなぁ…。嫌がらせしてその反応を楽しんでる自分がいる。
ある時期に「あ、この性格の悪さを無くさないと、迫害される。人と仲良くなれない。いつか私は人を殺す」って思って、自分の中の一部を封印したことがあった。
その閉じ込めたことを気づいてしまうと自分がしんどくなるから、その自分を檻の閉じ込めたことを忘れていた。
「あーこれを言ったら相手は怒るんだろうな、嫌がるんだうな」みたいなことが多分、なんとなく分かっていたんだろう。
そして、最近はわかる。(これ言ったら相手は怒るんだろうなぁ、あ、やっぱり怒った)って自覚しながら「え、わざとじゃないよ🥺」みたいな顔であたかもわざとじゃないですよみたいなフリをしてる自分がいる。わざとなのに。そして、反応を見て楽しんでるわたし。
いやぁ〜、性格が悪い。
優しくない人が許せなかったけど、それは私が「優しい温かい人間」を頑張ってきたからで、趣味の嫌がらせを我慢してきたからだと思う。
優しい温かい人間になりたかったのも、そう見られたかったのも、「優しくない温かくない自分がいるから。」
優しい温かい人間でいなければ、他人とは深い関係になれないし孤独になってしまうから。そう思っていたから。
でも、自分を出さずに人と関わることで、一生深く関われないことを知った。
「性格の悪い自分出しますよぉ〜」って言いながら、残酷だったり嫌がらせが好きな自分を出していこうと思っている。
自分が「嫌な奴」だと認めるのに、「怒らせて反応を見て楽しんでる」自分がいることを気づくことに、すごく時間がかかってしまったなぁ〜。
スイスイ〜って泳いでるのが気持ちよさそうな、ウミヘビみたいに生きていきたい。自分の持ってる毒にも自覚的にならないとね〜。
最後まで見てくれてありがとう〜。ちゅっ。
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