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♬Ⅲ 45歳から再開した「私の第2のピアノライフ」

30年ぶりの発表会~暗譜ができない!


仕事の関係で、1年ちょっとブランクが空いたものの、なんだかんだでレッスンを再開し、あっという間に5~6年経った。

そして、発表会に出ることになった。曲は「ショパンンのノクターンOp32No2」。

ショパンの曲ならば、体力的には、いけるはずだ!…ところが、「暗譜」ができない。

「楽譜」を置いて弾いたとしても、老眼が進んだ私は、「メガネ」がないと譜面がよく見えないのだ~

綺麗なドレスで、人前でピアノを弾くのならば「メガネは外して舞台にあがりたい~」と、まだちょっと若かった私は、そう思った

それがモチベーションとなり、必死に「暗譜」をした。

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様々な「反省と評価」は、あったけれども、発表会は、夢のように終わった。

ピアノを経験された方は、共感できることだと思うけれど、自分の家では上手に弾けると思っても、レッスンで先生の前だと上手くいかなかったり、さらに舞台で弾くと、それまで全く間違えなかった箇所を間違えたり、様々なことが起こる。

さらに、ピアノという楽器は、「フルート」や「ヴァイオリン」とは違い、自分の持ち楽器で演奏するのではなく、その場所に置いてある楽器で演奏する。

ピアノに限らず、楽器はそれぞれで微妙な違いがある。「音色」もそうだし、鍵盤のタッチの感覚とか、全く同じものは無いと思う。

でも結局、「ピアノの実力」とは、「弾く場所にあるピアノで、さらに人前でどんな演奏ができるのか」ということだと、私は思っている。

だから、「発表会」って大事だな~と思うのだ。

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発表会の後、先生から「続ければ、あなたのように弾けるようになることを、今、ピアノを習っている人に知って欲しいと思ったの」と言ってくださった。

そして「ピアノを弾くことで、音楽が創られる、それは、本当に素晴らしいことなの」という先生の言葉は、私が「自分の中に宝物を持っている」ことに、気付かせてくれた。

私は、特別ピアノの才能があるわけでは無い。

そんなに上手ではない。

ただ続けてきただけだ。けれど「幼い頃から身に付けてきたことは、奪われることが無い」ということを、この発表会を通じで自分の中に確信したのだ。



ママ友から、ピアノの先生を紹介される


私には、30年来の「ママ友」がいる。

娘が幼稚園の時からのお付き合いで、何故か、縁が切れずに今日まで来ている。彼女は、私より少し年上の人で、音大卒業後、ず~っと「ピアノ教師」をしていた。

彼女とは時々、駅前のカフェでお茶をするような、そんな関係性が続いている。

娘が幼稚園の頃は、ピアノの話は殆どしたことがなかったけれど、いつの間にか、彼女とピアノの話をするようになった。

彼女は、どことなくふわ~っとした優しい感じのママだけれど、ピアノの話になると「この人は、芯がある人なんだ」と私は感じてきた。

そんな彼女に、私がレッスンに通い、30年ぶりに発表会に出た話をした。

すると
「とってもいい先生を知っているから、絶対レッスンに行った方がいいわよ!」と言って、ピアノの先生を紹介してくれた。

私は、発表会で弾いた「ショパンの曲」を持って、その先生のレッスンに伺った。

先生が変われば、レッスンのポイントも異なる。
この先生のレッスンで、ペダルの踏み方を、直された私は、さっきまで弾けていた曲が、なんだか上手く弾けない。「長年の癖」を直された感じで、一気に何もできなくなった感じだった。

綺麗な「音」を創るためには「ピアノを弾く時の体幹」がいかに大切か、私は知った。


忘れられない先生の言葉~


「ピアノを弾く時には、自分で自分にお願いするのよ、ちゃんと弾いてねって…」

この先生の言葉は、「ピアノを弾くって、どういうことなんだろう。」そんな「問い」を私に与えてくれた。

この「問」の答えはまだまだ、わからないけれど、宇宙的な、なにか説明がつかない部分を人間が持って、「音楽は、その部分に繋がっている」そんなこと思わせる言葉だった。

私は、この先生のレッスンに伺うようになり、それまで弾いたことがなかった「シベリウスの曲」にも出会うことになった。

そして、2年ごとに開催される先生の「コンサート」には、今もママ友と一緒に出かけている。

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初めて経験した、「ピアノとお別れ」


実は、それまで住んでいた家を離れることになり、ピアノを持っていくことが出来なかった。

どうしてもピアノの行き先が決まらなかった。

仕方なく、「製造メーカー」に引き取ってもらうことにした。

会社のホームページに書かれていた「部品として分解はしません」という言葉を信じるしかなかった。

昭和39年から調律している記録の紙が、ピアノの中に貼ってあった。

「ペダル」は2本、「サイレント機能」は付けられない「ヤマハ」の古いピアノだ。

「レ」の鍵盤が戻りずらくなっていた。

私にとっては、自分の人生の思い出が、全て詰まっているピアノだ。

このピアノは、「親の愛情の象徴」でもあった。

このピアノに自分は、どれだけ支えられてきたのだろう。

「ピアノを手放す」ことが、どういうことなのか、その時は実感できなかった。


ピアノの後ろに入れてあった「防音パネル」を外して、最後、弾いてみた。

「こんなに綺麗な音が出るピアノだったんだ。」…嗚咽してしまうぐらい涙が出た。



小雨の降る午後、ピアノは運び出された。

私はこの時、生まれたばかりの孫娘を抱きながら、トラックに積まれるピアノを窓の外に見ていた。

幼いころから、傍にあるのが当たり前だった「ピアノが無い日々」が始まった。

自分の一部を失ったような感覚だったけれど、慣れるしかなかった。

振り返っても仕方がなかった。

自分の腕の中にいる孫娘は、私にとって未来の象徴だ。
「私は、未来を手にしている!」そう思った。

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ピアノは無いけれど~発表会


あの日、一緒にピアノを見送った孫娘は、今年、小学校に入学した。

そして、この7月、私はその孫と一緒に発表会に出ることにした。

いま家にはピアノが無い。

この数年、レッスンにも行っていない。

この状況下で、できる事を考えた。

そして、孫姉妹(7歳と4歳)と3人で合奏することにした。

最初、私が伴奏で「歌」と思ったのだが、コロナ禍で「歌」はNGとなり、「ピアニカ」と「グロッケン」そして私のピアノで「いつも何度でも」(千と千尋の神隠し)を合奏することになった。

孫娘の家には、電気ピアノが置いてある。

とにかくそれで練習を始めた。

私にとって、この「発表会でのチャレンジ」は、

譜面はシンプルなものを用意し、実際に、弾く時に自分で「アレンジして弾こう」と考えている事だ。

要するに「孫たちの演奏に合わせて、後から演奏を支えよう」というスタンスなのだ。

だから今回は「ばあば」として、メガネをかけて、舞台にあがろうと思っている。

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その後の「私のピアノ人生」


ピアノが、手元から無くなってから、数年が経った。

あんなに練習したいろんな曲が、前ほどほど弾けない。

私は、音大卒でもないし、何かしらの「グレード」を持っているわけではない。

だから自分の「ピアノの実力」は、まさに今、どんな演奏ができるかだと思っている。

しかし、ピアノは、毎日コツコツ練習しないと、腕前は、どんどん落ちていく。


「ピアノを手放したこと」に対して、「喪失感」よりも「罪悪感」の方が強かった。「何という、取り返しのつかない事を、してしまったのだろう~」という思いが、歳月と共に心に広がった。


「私のピアノは、今どこで、どうしているのだろ~」

行方不明となった「家族の安否」を、いつまでも心配しているようだ。

そんな自分が、ピアノを弾きたいと思うことが、「執着心の強い、あきらめの悪い奴だ」と感じることもある。

ピアノは「贅沢品」だ。

だから、無くても生活は成り立つ。

家具とも違い、設置後、どれぐらい音が出せるのか、様々な「環境」が必要となる。

それ以前に「ピアノを入れられる建物」という条件が必須となる。

一度、ピアノを手放した私は、この事が身に染みてわかっている。

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廻り巡って、私のところに、再びピアノが来る。


今回、ピアノをテーマにNoteを書こうと思って、下書きを書き始めた頃、先生を紹介してくれたあのママ友から、「アップライトピアノいる?」とLINEが来た。


彼女は「ご主人の実家」に場所を置いて「ピアノ教室」を続けてきたけれど、その建物の取り壊しが決まり、片付けをしていた。

既に、彼女の自宅には、「グランド」と「アップライト」のピアノが置かれていて、これ以上は置けないというのだ。

私が今、住んでいるマンションは、楽器が入れられる。

私は、譲り受けることにした。

メルカリでタイミング良く、「床用防音マット」と「インシュレーター」を購入した。

しかし、ピアノの後ろに入れる「防音パネル」は、なかなか見つからず、この事をママ友に話したら、「音が気になるなら、毛布を掛けて弾けばいいのよ!」と言われた。

当面は、「毛布」を使ってみよう~。


私の「ピアノライフ」には、どんな意味があるのだろう~


ピアノを手放した頃、

「ピアノは、弾いて欲しい人のところに来るのよ!」とある人から言われた。

私は今、この言葉に、思いを巡らしている。

再びピアノを手にする私は、「手放した罪悪感」から、解放されるのだろうか~。


子どもの時、ピアノのお稽古が嫌で、そのことを口にすると

芸は身を助ける、といういうだろ、だから続けなさい。」と父から言われたことを思い出す。

「身を助ける」という意味を、私は「芸があることで、生計を成り立たすことができる」というように考えていた。

しかし、それは全く違った。

「身を助ける」とは、人生を生きていく中で「みじめな日々」や「辛いこと」があっても、「自分は幸せ者だ」と思える「自己肯定感」のような意味だと、私は今、思っている。

ピアノは、私に「あなたは、幸せ者なのよ」ということを教えてくれる。

そして、ピアノは「人間の不思議さ」も教えてくれる。

「人は、練習するとこんなことができるようになるんだ~」あるいは、「こんなふうに、人間って出来ているんだ~」と、ピアノをやってきた私は感じる。

「私のピアノ人生」が、この先どこまでも続くことを、心から願いながら、今、ピアノの搬入準備をしている。

そして、もっと歳をとって、人の手を借りながら生活するようになっても、「ショパンの曲はちゃんと弾ける」、そんな「おばあちゃん」になりたい、と思っている私なのだ。

(おしまい)ーーーーーーーーー

♫最後まで、お読み頂きありがとうございました。


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テレサ
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