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日本の着物がなぜ呉服?

日本の衣装なのにどうして呉服?と思われませんでしょうか。
着物を売ってる店を呉服屋と呼ぶ・・・
なんだか不思議です。
 
呉服の呉は呉の国のことです。
呉とは 中国の揚子江以南の地方で
中国歴史上に2回、国家として現れます。
最初が2500年ほど前で日本は縄文時代です。
二度目はいわゆる 三国志の時代で3世紀後半です。
長い戦争の混乱から逃れるため
多くの呉国人が日本に渡ってきました。
日本書紀にあるには
猪名津彦命(いなつひこのみこと)が呉の国より
機織(はたおり)裁縫(たちぬい)の技術を日本に伝えるため
呉服(くれはとり)綾織(あやはとり)兄媛(えひめ)弟媛(おとひめ)
の本命を連れ帰り日本に絹織物の技術が伝わったとされます。
この呉服(くれはとり)を祭った神社が
大阪の池田にある呉服(くれはとり)神社です。

つまり 呉服はくれはとり、と呼ばれ
くれ、は日暮れの暮れで中国が日の暮れる方角にあったためそう呼ばれ
はとり、は機織(はたおり)から転じた名称です。
呉服(くれはとり)とは絹織物の職人のことでした。
次第に くれはとり、が職人ではなく織られた絹織物そのものを
指すようになり、奈良時代に音読みのごふく、になりました。
日本古来の織物は倭の国の服で倭服であり
明治時代に洋服に対して和服と呼ばれるようになりました。

ですから本来 呉服とは絹織物のことです。
麻や木綿は太物、と呼ばれて区別されていました。
戦後 麻や木綿の需要が激減して太物だけではやっていけなくなり
呉服と太物の区別が消えていきました。
また呉服、という言葉はこの業界が好きな語呂合わせで
五福(長寿、財力、無病、徳、天命)に通じることも
好んで使われた理由だと言われています。

じざいやは 呉服(絹もの)も太物(木綿・麻)も扱っています。
着るもの・・・きもの屋だと思っています。

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