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佐賀錦

昨日、金糸銀糸のことを書いていて
過去のじざいや画像を探していたら 佐賀錦の画像が出てきました。
佐賀錦。
着物好きなら名前は聞いたことのあることでしょう。
フォーマル用の草履とバックのお揃いのアレね、と
思い浮かべる方も多いと思います。 
フォーマル用の袋帯とかも。

しかし 呉服屋に並ぶ佐賀錦のほとんどは
西陣で織られた機械織りです。
本当の手織りの佐賀錦は
いわゆる着物や帯を織る機(はた)で織るのではありません。

まず佐賀錦の定義ですが 
経糸に箔紙(手漉き和紙に漆、金箔、銀箔、プラチナ箔を貼ったもの)を
細く裁断して使用し
緯糸は かつては箔紙でしたが 
現在は絹糸、金糸、銀糸、プラチナ糸を使っています。
材料だけで高価なのが分かりますよね・・・

制作は織機ではなく、
織り台という縦46センチ・横32センチ程度(帯用の一回り大きなものもある)の
小さな台に経紙と呼ばれる経糸を掛け、
「網針(あばり)」という杼を簡略化したような針と竹ベらで緯糸を
 織り込んでいきます。
経糸となる箔紙は太いもので三十割(一寸あたり三十本)から
六十割(一寸あたり六十本)までありますが、
一般には四十割か三十五割が使われることが多いそうです。
そこへ 絹糸(金糸・銀糸などの場合も)を
織り込んでいく訳ですが 平織りや綾織、などを組み合わせて
熟練者でも 1センチに数時間掛かります。
1日に数センチからせいぜい十数センチしか織進まないのです。


佐賀錦2

佐賀錦の起源は 文政年間に、鹿島鍋島家の9代目藩主夫人であった
柏岡の方が病に伏せていた部屋の網代組みの天井を見て
その美しさに大変心を惹かれ、織物に生かせないかと試みたものが
佐賀錦の祖であったと伝えられています。
のちに 藩主の鍋島直彬に勧められて、
柳岡の方と御殿女中たちは紙糸を金箔糸に、
綿糸を絹糸に代えてより美しい織物を作り上げ、
御殿女中たちの間で女子のたしなみとして受け継がれ、
幕府へ献上されました。
当時は武士の持物の刀や鼓・笛などの袋、袱紗などにされていました。

佐賀錦5

現在は 雅楽器の袋やバック、帯などが作られています。

手織りの佐賀錦は その手間と 材料の高価なことなどから
極わずかしか作られていません。
本物を目にすることは 伝統工芸展の出品作か
大きな着物展示会の奥の間の
桐箱の中でしかお目に掛かれないかもしれません。

和紙に金箔を貼った箔が使われているので
本物ものはとても軽く、また水に強いのだそうです。


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