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黄八丈

今月の着物セミナーは「黄八丈」をテーマにお話しします。
9/16(水)13時~ と 17時~
13時の回は満席ですが 17時からはまだお席がございます。
興味のある方はお問合せください。
講師は京都の紬問屋の若旦那。
実際に黄八丈の反物や見本帳をご覧頂きながら
黄八丈について 歴史や染めについてお話を伺います。
1時間ほど。参加費は無料です。
販売会ではありません。

その、黄八丈ですが。

八丈島で織ってる黄色い着物だから黄八丈と呼ぶのだと
思ってる方が多いのですが
八丈絹を生産する島だから、八丈島と呼ばれるようになったのです。
それでは 八丈絹とは何かと言えば
江戸時代は反物を織る長さが一疋(いっぴき=2反分)で
曲尺八丈(約24メートル)だったことに由来します。
今の一反は鯨尺で三丈、色無地などの共八卦の付いたものは
四丈と呼ばれています。

黄八丈は江戸時代、お米の採れない八丈島の租税として
幕府に上納されていました。
それを将軍家から大名、御殿女中などに下賜されたもので
御殿女中は打ちかけの下の小打着として着用していました。
江戸後期になって庶民の経済力も上がり
歌舞伎役者の娘衣装に使われたことで
一気に人気が上がりました。
江戸時代の流行は歌舞伎から発生するものが多く
黄八丈もその例に漏れませんでした。
また 漢方医が制服のように着ていたとも言いますので
男性にも愛用されていたようです。
御殿女中や医者が着ていたのは
時代劇で見かけるような大きな格子ではなく
無地っぽいのや小格子、細縞が主流だったようです。
江戸後期に庶民のものとなって大胆な格子などの
現在のイメージが定着したようです。

現在の黄八丈は「紬」として一括りにされてしまっていますが
くず繭や切れた糸を集めて織った
自家用野良着としての紬とは違う進化をした紬なのです。
越後上布だって 麻ですけどお姫様の帷子になっていますしね。
織の着物をなんでも「紬」として格下にみる風潮については
また改めまして・・・
だって、宮中の衣装は友禅ではなく 有職織ですもの。

黄八丈は人気があったからこそ 模倣され
後には銘仙やウールで黄色地に黒や赤の格子柄を生み、
秋田黄八丈や十日町黄八丈が作られることになります。
しかし 黄八丈独特の美しい色は 格別な存在感があります。
島だからこその 染についてはまた次回にでも。

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黄八丈と言えば 山下さんの名前が挙げられますが
組合に属さない、家族だけで古くからの技法を守り 
地元の刈安の黄色、マダミの樺色、椎の木と泥の黒の
三色を組み合わせて織り上げられます。
独特の風合いは かつて昭和天皇の母宮より
皇居で養蚕されている小石丸、という極細で美しい糸の
日本古来の品種の蚕を譲り受け その糸を織り込んでいるからです。
しなやかで光沢のあるその黄八丈は
町娘より御殿女中に似合う品格を漂わせています。



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