日本の絞り染め。
絞り染は世界各国にあり、
日本でも6・7世紀頃には既に行われていました。
その技術は、糸で布地を強く括ることにより、
染料が入り込まない部分を作る、
防染という簡単な原理によるものです。
初期の絞り染めは、絞りのしぼ(しわ)は重要視していませんでした。
防染の為の、また染め分けの手段としての絞り染めであったために、
染め上がった後の凹凸は伸ばしてしまうのです。
辻が花などがそうですね。
しかし江戸期に入ると、象徴的な布面のしわを大切にし、
凹凸を残すことで、費用を惜しまない財力の豊かさを示し
高級品であることを強調ました。
華麗な小袖は、幕府の大名、高級官僚、宮廷の公卿、裕福な町人、
そして遊里の太夫たちに好まれたのです。
しかしこの様な華やかな流行に対して、
幕府は価格の統制による倹約を試みます。
天和三年二月に発せられた「總鹿の子禁止令」。
この禁令に伴って紋様の表現方法も変わらざるを得なくなり、
「友禅染め」という、
新しい紋様染めが現われることとなっていくのです。
一方、麻地や木綿に「藍」を用いた庶民的な絞りもあります。
これは元来、自家製自家用であったものが専業化して、
技術的にも少しずつ洗練され、商品として扱われるようになったものです。
豊後(大分)、高瀬(熊本)、
そして尾張名古屋の有松、鳴海を中心とする地区にあります。