みちのくは道の奥。雪深い産地のこと。
米沢から大雪・・・というか豪雪の便りが。
みちのくは道の奥。
開けた平野ではなく険しい山の間で
冬ともなれば雪に埋もれてしまう土地です。
米沢。
江戸時代の藩主、上杉鷹山(うえすぎようざん)によって
養蚕,織物が推奨されたこの土地は
織物の町として栄えました。
最上川の紅花のように華やかな色もありますが
刺子や白鷹お召の板締め絣など
実直で細かな作業を強いるものがほとんどです。
絣の北限、といわれる白鷹の板締め絣は
大らかな沖縄の絣の対極にあるような精緻な絣です。
そうかと思えば 米琉(米沢琉球)のように
沖縄の絣を模しながら色、風合いに米沢独自のものを織り込み
北国らしい素朴で落ち着きのある紬も生まれました。
藩主の保護の元に工夫を重ね
地道な手技を積み重ねることで
米沢の織物は発展してきました。
華々しさはないものの
安心できる懐かしさと真面目なものづくりの丁寧さが
どの作品も現れています。
越後上布の糸の産地である福島県の昭和村は
不安になってしまうほど山道を走ったその先にあります。
過疎の村ですが びっくりするほど立派なからむし工芸博物館があり
中には苧麻を績むおばぁちゃん達がパネルになっています。
若い人でも65歳以下はいません。
その村で苧麻を育て糸を績んでいます。
村興しも兼ねて他県から織姫と称する織り子さんを
養成するシステムがありますが 養成期間後も
村に残る織り子さんはほとんど居ません。
苧麻を育てるには畑を焼くことから始めます。
2メートルにも育つ苧麻は生命力のある強靭な草で
これを糸にするには根気と熟練が必要なのです。
越後上布にもなる上質の手績みの苧麻糸を
現在は昭和村でも会津からむし織りとして織っています。
雪晒しをしないので白地は越後より少し気味の掛かった色ですが
糸を育てた人による織りは愛情がたっぷりしみこんでいます。
雪が多く木綿も育たない土地では
樹皮が貴重な繊維でした。
葛やシナの木、藤蔓などが江戸時代に木綿が全国に普及するまで
当たり前の生活繊維だったのです。
ですから雪国では冬場の女性の仕事はそれらを織ることで
シナや葛が織れて一人前、
それができないとお嫁に行くこともできなかったのです。
今は新潟と山形の県境でごく少数のシナ布が織られています。
夏のものと思われがちなシナ布や自然布ですが
昔は一年中これを着用していたのです。
真冬はともかく5月から10月くらいまで
たっぷりと活用してあげたいものです。
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