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どこまでいってもダメで、バカな自分をとことん愛す

突然ですが、職場の鍵を無くしました。実は2回目で、つくづく物の管理が出来ないんだなと思った。

物の管理が出来ないって言うと、意外がられるんだけど、そりゃそうでしょうとも。
職場ではいつも「きたねーなー」と言いながらゴミを拾って歩き、いつも掃除をしているし、家だってそこそこ整っていて、塵一つ無いとは言わないまでも、綺麗なもんです。鞄の中もまたしかり。

なのにどうして物が無くなるのか、誰か教えて欲しい。
というか、物に余り執着も無いので、無くなってもさほど気にならないのが現状だ。

ただ職場の鍵をとなるとそうもいかない。一瞬、焦ったもんね。ただ無くし物に慣れてるせいか、あまり罪悪感は湧かなかった。
いくら罪悪感を持ったところで、無くした物は、もう戻らない事を知っている。事実を真摯に受け止めて、ごめんなさいで終わる。

だけど誰かから見た、そこそこ潔癖な一面は(家の掃除の話をすると潔癖って言われる)、やっぱりフェイクなんじゃないかと思えてくる。
だからいつも、毎回、毎回しつこいくらいに自分自身に問いかける。

本当の本当の本当はどうしたい??

人の目や、義務感や、そういう付属物が、何にも関係無かったら自分はどうしたいか、確認して選択する。
今朝は掃除機をかけるのか、かけないのか?
ゴミを拾うのか、拾わないのか?
愚だらないかもしれないけど、こういう細かい事の積み重ねで、今の私は出来ている。

自分で選択し決断をすれば、責任も伴う。物事が大きかろうと小さかろうと、選択した事全て自己責任だ。そういう時、どこまでいっても、ダメでバカな自分の本性が現れる。それこそ、玉ねぎの皮を剥くみたいにどんどん現れて、いつも向き合う事になるんだ。

本当の本当の本当の先に、自分の出来ない事や、やりたくない事がいっぱいあって、いちいちそんな自分を無理矢理何とかするとか、取り繕う事が出来無くなってしまった。だからもう、降参する事にした。

一本電車を逃して遅刻したとしても、出掛けに掃除機をかけたい自分。それなのに、10分早く起きれない自分。 平気で職場の鍵を無くす自分。

例えどんな自分が現れようとも、責める事を止め、自分は自分の味方になるって決めて、早数年。いろんな私を、全部含めて"私"だと受け入れる事が、どうやら最近になって、やっと肚に落ちたらしい。
ネガもポジも、明も暗も、良いも悪いも、感情の波に乗り自分の中の陰陽が一つの和になった。

抵抗が許容可能な状態に変わる時、疑いが信念に変わる時、豊かさがどんどん流れ込んでくるでしょうってエイブラハムがよく言ってたけど、本当だわ。

自分の中が、めちゃめちゃ愛情で満たされてるもんね。フッとした瞬間、ああしあわせだなーって溢れてくる。

実は、愛って言葉、本当は使いたくなくてこの文章を書き進められず、2Wかかった。
自分の中の女っぽい部分(女性性)を認めてはいたけど、今まで本当の意味で許可出来てなかったのかもな。

この期間に、どういう商品を作っていくかってアイディアが湧いて、暮らしにまつわるetcを
包み、揺らぎ、彩り、癒し、餐し、奏のキーワードで出していきたいと思っている。

まさかまさかの展開を楽しもう!!!
まさかの話はまた次に!

と書いていたら、鍵が見つかったと警察から職場に連絡が入ったらしい🤣













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