わたしが高校生のときアップルミュージックがあったら
もしあのころにアップルミュージックがあって
スマホがあって、週に1回のアイスを我慢しておこづかいから月額を捻出してたら私はどうなってたんだろう。
地方都市の小さな街で、県で唯一のタワレコまでは電車にのって40分。
そりゃもう行くときは何買おっかっておしゃれしてさ、視聴機の前に立つとドキドキするの。
「知らない音楽ばっかり!最高だ!」
あの時いつもレジにいた毛先だけ緑色の黒髪マッシュの店員さんが眩しかったな。
きっとメロコアが大好きだったんだ。
ELLEGARDENがぽっきり消えてしまった時だった。
ジャニーズにはまれなかった罪悪感と、好きなものを見つけたい欲求でなんとか知らない音楽に出会おうと自分なりに頑張っていた気がする。
田舎まちの、女子高生の片手間のもがきなど大したことではない。
週末の駅前の本屋に寄ってロッキングオンとCINRAと音楽と人を斜め読みして気になるものは忘れないようにしていた。
あとzipperのうしろの音楽コーナーも好きだった。
エターナルサンシャインと出会ったのもzipperだった。好きさ!ミシェルゴンドリー。あなたのpvも!
バンドの楽器が出来ない私はギターケースを背負う同い年くらいの子が音楽雑誌コーナーで隣に並ぶとびくびくしていたものだ。
皆と同じものを同じようにハマれない申し訳なさと、じゃあ自分が好きなものって何なんだ?というきもちがないまぜになってたんだな。
上京して驚いたのは格差だった。小さい頃から都会にいた子達の聴いてきた音楽のなんと多いことだろう。
羨ましかった、悔しかった。
なんでこんなにちがうの?って。
サブスクリプションが浸透して本当によかった。
今の私は聴こうと思ったときにorbのアンビエントを一瞬で流せるし、むかむかしたから東京スーパースターズで心のなかで全力疾走できる。
どこでもドアみたいに曲と曲の間を飛び越えるサブスクリプションに大感謝だ。
その一方で、あのころの何とか知らない音楽にありつきたくてもやもやしていた自分に聴かせてやるつもりでいつも開いている。
私と音楽の源体験は新しいものへの渇望なのだ。