三井楽と宮古
少しばかり私生活でバタバタしていまして、落ち着いて記事を書く気になれなかったのですが、前回の記事を振り返り、少し付け足したいことも出て来ましたので、今日はそちらにお付き合い下さい。
さて、死者に会える "みみらくの島" という、謎めいた存在を題材にした和歌を取り上げてみた前回の記事ですが、その比定地である、長崎県五島列島の福江島に在るという三井楽(みいらく)の崎、ここを色々とネットで調べているうちに、幾つか気になることが在りました。
一つ目は、三井楽半島の西の沖に浮かぶ、嵯峨島(さがのしま)の存在。Google Maps で見てみると、この小さな島には、アコウの木が観光名所に成っている場所が在るみたいなのです。
アコウと言えば、南西諸島で良く見かける木で、珊瑚石灰岩の岩場の露頭に、気根と呼ばれる露出した根を張り巡らせて張り付いていたりします。良く似たタイプの木に、有名なガジュマルの木がありますね。
温暖な気候を好むので、日本だと九州、山口、四国や紀伊半島の南部など、限られた場所にしか生息しないようです。
もっとも、九州に関しては、ほぼ全域で見られるようなので、何もこの島だけに限った存在ではない訳ですが、それでも、観光名所に成るほど繁茂していると聞くと、何やら南の島との縁を感じてしまいます。
次に気に成ったのが、三井楽半島の西端にある、"スケアン" と呼ばれる史跡です。
スケアンは、石干見(いしひび)漁法という、古代の漁法を行っていた跡の残って居る場所らしく、平坦な岩場に石垣などを築いて、干潮時に人工の潮だまりが出来るようにし、そこに取り残された魚介類を採るという漁法らしいです(スケアンは、スケ網の意味で、潮だまりで魚を掬う所から来ているようです)。
それを知って自分が直ぐに思い出したのは、柳田国男が、「海上の道」の中で取り上げている、宮古島周辺の "干瀬(ひせ)" のことでした。
干瀬は、珊瑚礁の中でも特に、干潮時に浅瀬に姿を表すようなものを指すのではないかと思われ、宮古島の周辺には、有名な "八重干瀬(やびじ)" が在ります。
「海上の道」では、稲作民族が、とある貴重な海産物を求めてこの干瀬にやって来たのが、南西諸島に人のやって来た最初ではないかという考察がされています。
石干見漁法は、これ又広く、九州各地の沿岸で行われていたということらしいので、やはりこのスケアンに限られた伝統と言う訳でもないようなのですが、古代の九州周辺の漁労民達は、何処か南方に起源を持つ生活様式で暮らしていたような気がします。
最後に、これはちょっとこじつけの感が強いのですか、三井楽半島の中心部の地名が、嶽(たけ)と言うらしいのです。何となく、沖縄の聖地である御嶽(うたき)を思い出させるような名という気がしませんか?
以上のような事から、三井楽と言う場所は、実は、宮古島辺りから流れ着いた古代の人々が、故郷を思い出しながら暮らして居た場所なのではないかと言う気がして来て、それが今の自分の仮説(妄想?)と成っています。
もしそうだとしたら、彼等が辿ったのは、正に黒潮に沿った「海上の道」そのものだった訳で、何ともロマンに満ちた話だなぁ~なんて思うのですが、実際の所は、やはり単なる駄洒落とこじつけに過ぎないんでしょうかね?……(笑)