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山口や昭和は遠くになりにけり

どこへ行っても「維新」の文字が目に入る。
ワタシは先日、所用で山口県を訪れた。

史跡関係はもちろん、KDDI維新ホールや維新百年記念公園、維新みらいふスタジアムと施設名にも枚挙に暇がない。
日本を武士社会から近代国家へと変えた”偉業”の震源地であることは、それほど山口県にとって誇らしいことなのだろう。

「維新」とは「維 (こ) れ新 (あらた) なり」。
さぞかし街の日常は新しいもので満ちあふれているのだろうと思いきや、さにあらず。

とりわけ鉄道に目を向ければ、平成すらすっ飛ばして、昭和生まれの車両が当たり前のように鉄路を行き来しているのである。

維新みらいふスタジアムの最寄り駅、大歳を通る山口線の普通列車は全てキハ40系で運転。
2024.11.10 山口駅
この道中で拠点としていた宇部新川を通る、宇部線で活躍する105系。大部分が右写真のような黄色で塗装されているが、1編成だけ左の「ゆうパック色」と呼ばれるリバイバルカラーとなっている。 (左)2024.11.10 宇部新川駅 (右)2024.11.11 宇部駅
小野田線で乗車した単行電車・クモハ123。大阪やら広島やらでデビューしたJR西日本の元・荷物電車は西へ西へと流れ、今は4両が仲良く黄色の塗装で勢揃い。 2024.11.11 小野田駅
下関から九州へ乗り入れる415系1500番代。関門トンネルがデッドセクションという特殊な区間であるために、国鉄時代からの車両を使い続けている。 2024.11.11 下関駅
下関と宇部の移動に使った山陽本線も国鉄生まれの115系3000番代。片側2か所に乗降扉をもつスタイルは、関東にはなかった中国地方のスペシャル仕様。 2024.11.11

こんな感じで、新幹線を降りてから飛行機で飛び立つまで、山口県内の移動はほぼ全部、国鉄型車両だったのである。
ひとつだけ乗車できたJR世代の車両が、レトロな雰囲気を売りにしている「SLやまぐち号」だったというのが、何とも皮肉な話なのだけれど。

どの車両も37年という月日を経て、大なり小なり姿かたちは変わっているし、それ以前に415系以外は初めから東京にはいなかったグループだ。
だから懐かしいという感覚とは遠かったのだけど、ステンレスでない鋼の車両の重みというか、分厚さみたいな感覚は逆に新鮮だった。

ひょっとしたら47都道府県で国鉄型車両の残存率が最も高いのが山口県ではないだろうか。
とはいえ、彼らの老い先はそう長くない。制度疲労で幕府が瓦解したように、いずれ山口県の鉄道にも維新の時が訪れる。

国鉄の残り香を懐かしみたい方も、国鉄未体験の若い方々も、「廃止」のニュースが出る前の今が、訪れるちょうどいいタイミングかもしれませんよ。

試合の後に乗車した35系「SLやまぐち号」の車内。空席がなかったので、奮発してグリーン車に。内装に木材がふんだんに使われていてクラシックな雰囲気だけど、
実は今回の旅行で唯一、山口県内で乗ったJR生まれの車両だ。

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