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ジンクスではなく、ラッキー

ワタシには「死神」みたいな、あまり嬉しくないジンクスがある。

デビュー直後にワタシが偶然出会ったジョイフルトレイン(※1)は、短命に終わってしまうのだ。

国鉄分割民営化によりJRが誕生した1987年の春、当時中学生だったワタシは臨時の夜行急行「佐渡」に乗って一人旅をしていた。

終着駅の新潟駅はまだ早朝というのに、降り立ったプラットホームで何やらセレモニーが始まりそうな賑やかな雰囲気だ。屋根にぶら下がっていた看板には「アルカディア号 出発式」の文字がある。

「サロンエクスプレス アルカディア」の”出発式”といえば、鉄道各誌に掲載された「JR出発式」の写真が印象深いが、実は営業運転初日にも写真のような「出発式」セレモニーが行われている。 1987.4.4 新潟駅

そこに現れたのは赤・白・青の鮮やかな3色をまとう3両編成のディーゼルカー「サロンエクスプレス アルカディア」だ。くさび型の顔とその直後につづく高い位置の展望席は、雑誌で見た北海道や北陸向けの車両と同じであるが、塗装がひときわ派手だったこともあってインパクトがあった。

この時、「アルカディア」は誕生からまだ9日目である。

だが、その「アルカディア」はワタシが見送った初めての出発から、たった1年すら走り続けることはできなかった。
翌1988年3月の火災事故により1両が失われたのだ。

残った2両は盛岡へ居を移し「Kenji」として再デビューしたものの、ついに「アルカディア」として復活することはなかった。

時を経て1993年の夏、大学生となっていたワタシはサークルの合宿地へ向かうべく、立ち寄っていたのは熊本駅。

その時すでに787系「つばめ」もデビューしており、水戸岡鋭治氏率いる「ドーンデザイン」に傾倒し始めていたので、JR九州の鉄道車両はだいたい知った気になっていた。
そのワタシが知らない、真新しい純白のディーゼルカーが駅構内にいた。

改造が完了し、小倉工場を出場した翌日のジョイフルトレイン「しらぬい」。
背後には後の新幹線工事で解体された、レンガ造りの土台を持つ給水塔が見える。
1993.8.22 熊本駅

車体の中央には「Shiranui」のロゴがある。後に雑誌の記事でその正体が新しいジョイフルトレインの「しらぬい」であることを知った。
実は前日に小倉工場を出たばかり、出来立てのピッカピカだったのだ。

だが、その活躍をみる機会はなかった。1年半後の1995年3月、「しらぬい」はひっそりと鉄路から消えてしまっている。

そもそも「しらぬい」は将来を嘱望されてデビューした編成ではなかった。

この時すでにJR九州がジョイフルトレインの整理縮小を進め始めており(※2)、リストラされる2編成から1両ずつくっつけて、体裁を整えて殿の役目を与えたに過ぎなかったのだ。


そんなわけで短命ジョイフルトレインを2つご紹介する形となった。

最近ではジョイフルトレインの新車が登場するわけでもなく、ワタシも嫌なジンクスを気にすることもなくなった。むしろ、1年前後しか活躍しなかった車両の出来立てほやほやを見ることができたのは、ラッキーと受け止めた方が精神衛生上よろしかろう。

そんな経緯があるから模型で作ろうと考えないこともない。
ただ、資料が少なすぎて手を出せずにいるのである。

偶然出会ったジョイフルトレイン(?)その3、「リゾートしらかみ・くまげら編成」。所要で立ち寄った上野駅でバッタリ。登場からすでに1年以上だったからか、ジョイフルトレインと呼ぶには
微妙な存在なせいか、ジンクスは発動せず今日も元気に活躍している。 2008.3.8

注釈

※1:国鉄末期以降に登場した、団体専用列車向けの特別編成。豪華な洋風の内装や畳敷きの「お座敷列車」など、一般の鉄道車両と趣を大きく異にする車両が多い。

※2:『鉄道ファン』1993年8月号特集内コラム「JR九州DCジョイフルトレインの動向」による。後に「しらぬい」となる編成の仮称は「ゆうとぴあ」だった。

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