歴代の横浜FCラッピングバスを、模型で振り返る
2023年4月、TOMYTECから衝撃の発表があった。
横浜FCの選手移動用バス「HAMABLUE号」がバスコレ(※1)で発売されるというのだ。「まさか発売されるわけがない」と思って自分で作ってたのだから、嬉しさと困惑が相半ばして変な声を出しちゃうってなもんです。
バスコレの選手移動用バス、実はJリーグ全60クラブの中でコレが初。しかし、なぜフリエ?もっと売り上げの見込めるチームはいくらでもあるだろうに。
それはさておき、ここでは同時進行で作った他の作例を交えながら、横浜FCラッピングバスの歴史を紐解いてみる。しばし、お付き合いいただきたい。
初代チームバス
(2000年~2004年?:三菱ふそうエアロバス MS7)
JFL正会員になった2年目のシーズン、チームバスの確保がJ2への昇格に必要って騒がれてた記憶がぼんやりとあるのだけど、何しろ20年以上前なんで実際どうだったのだろう。
当時のJリーグの規約でそうなってたのか、単に選手をプロとして遇してあげたいというお気持ち的な話だったのか。
とにかくも、J2昇格に初代チームバスは間に合った。
白ナンバーということは自社保有だったのだろうか。だとして、当時はソシオ・フリエスタ制度だった貧乏所帯、ピカピカの新車が買えるはずがない。
このエアロバスMS7、デザイン的に1980年代後半のクルマで、車歴10年以上のベテランなのは間違いない。当時のクラブ規模を考えれば、身の丈相応といったところだろう。それでもデザインは頑張っていて、車体後部の大きなフェニックス柄が非常に印象的である。
資料写真が「写ルンです」で撮ったこんなのしか手元になかったので、今回の作例群の中で作るのが一番の難儀だった。
実車がいつまで使用されてたのか把握できてなくて、いつの間にか消えてしまった気がする。まぁこの写真を撮った2002年シーズンが最後だったのだろうなぁ、と思っているのだけど。
その後、横浜FCのチームバスは、東都観光バスのチャーターを経て(?)、2017年までスポンサーの天台観光にサポートしてもらう形に。出入り口付近に小さな「Yokohama FC」ロゴは付いていたものの、通常塗装と変わりのないデザイン。残念ながら食指を動かすほどのインパクトはなく、模型は作っていない。悪しからず。
(この段落2023年7月19日に加筆:※5)
横浜市営バス「横浜熱闘倶楽部」コラボラッピング
(2015年:いすゞエルガ・CNGノンステップバス)
初代チームバスが姿を消して10年以上の時を経た2015年、思わぬ形で新たな横浜FCのラッピングバスが登場する。
当時、横浜市を本拠地とするプロスポーツチームをサポートしていた横浜熱闘倶楽部(現・横浜スポーツパートナーズ)の企画による、横浜市営バスのラッピング車である。
車両の全面ではなく、ドアのある片側だけの、主に乗降者へアピールする最小サイズのラッピング。4チーム分(※2)やるのだから、予算的にも大変だったのだろう。
サッカージャンキー1年目のユニに身を包むのは、キングカズをはじめとする、今となっては懐かしの面々。市営バスのアクセントカラーがライトブルーなのも幸いして、調和のとれたデザインになっている。
横浜に限らず一昔前まで、スポーツチームのラッピング車に選手の写真を使う手法は一般的だった。クラブ側の「選手を主役に」という心理はわかるし、カズさんクラスの有名選手がいれば非サッカーファンにも届く知名度を活かしたくもなる。
ただ、こういうミニカーなどのグッズ展開には不利じゃないかと思っていたりもする。モノが出来上がる頃には、映っている選手が退団しちゃってるというリスクがあるし、そうなると肖像権の使用許可をとるハードルが高くなりそうだなぁ……と。
実際、他チームのトミカやチョロQで商品化されてるのは、選手写真を含まないものがほとんどなのですよ。
思えばこの頃から横浜駅周辺でも横浜FCのビジュアルが増え始めたように思う。
奇しくもこの前年、山口素弘監督の退任あいさつでクラブに対して厳しい言葉があった。ユニフォームサプライヤなど2015年シーズンから始まった様々な変化がそれを受けたものかは、正直わからない。ただ、その変化を感じたタイミングに運行されたという意味で印象に残るラッピングバスである。
横浜FCチームバス「HAMABLUE号」
(2018年~現在:丸大観光1999号車 日野セレガ)
横浜FCが創立20周年(※3)を迎えた2018年、チームバスの運行を丸大観光にスイッチ。鮮やかなフリエブルーに彩られた「HAMABLUE号」がデビューを果たす。
丸大観光は埼玉県入間市に本社を置く観光バス会社で、今年創立100周年を迎える。東京ヴェルディやジュビロ磐田などJクラブのサポートにも熱心で、それぞれのチームカラーに彩ったバスも所有している(※4)。横浜FCもその一員になったというわけだ。
ナンバープレートは1999号車と、トップチームの始動年に揃えているのが洒落ている。側面には「#三ツ沢を青にそめよう」の大きなロゴ。J2上位に定着し始めて観客動員が上向いた自信と、まだまだクラブの外側にリーチし続けなければ生き残れない立ち位置を自覚した攻めの姿勢。その両方がマッチした良いデザインだと思っている。
この「HAMABLUE号」も今年で5年目。創立25周年ロゴへの変更があるんじゃないかと、実は戦々恐々としながらこのモデルを作っていた。幸か不幸か、完成までにデザイン変更はなかったのだけど。ひょっとしたら、夏のJ1中断期間でリニューアルとかあるのかなぁ?(そうなったら、そうなったでまた作るけどね)
相鉄バス・横浜FCラッピング
(2021年~現在:1207号車 三菱ふそうエアロスター)
2020年の「シャレン!」をキッカケに、今では横浜FCのオフィシャルパートナーになってくれている相鉄バス。2021年6月以降は、試合開催日の横浜駅~三ッ沢グランド間直行便を新設。そこで活躍するのがこのラッピングバス。
試合開催日以外も、所属する横浜営業所管轄のほとんどの路線で運行。ついに、横浜FCのラッピングバスが横浜市内で常時運転される日々が訪れた、と思うと感慨深い。
相鉄というと、ワタシ的には職業柄、鉄道の方もやっぱり気になってしまう。県内のもう一つの大手私鉄・京急はマリノスのオフィシャルスポンサーで、久里浜スポーツパークの開業を機にラッピング電車も先日登場したばかり。
県内の対抗軸という文脈で言えば、横浜FCには何とか相模鉄道ともタッグを組んでほしいところ。練習場の最寄駅が西谷でもあり、相鉄さんのCIカラーもライトブルー+オレンジで横浜FCのイメージカラーに割と近い。相性的には悪くないと思うのだが。
ただ、都心直通を目論んで今年3月に開業した相鉄新横浜線の存在が悩みどころ。横浜国際総合競技場へのアクセスでも集客したいだろうから、相鉄としてもマリノスとの良好な関係を保ちたいだろうし。
何とか大人の落としどころを見つけて、横浜FCラッピングの相鉄電車をいつか見てみたい(それが本音だ)。そこへ希望をつなげるためにも、クラブには相鉄バスとのパートナーシップを深化してもらいたいと、切に願うところである。
おわりに
ラッピングバスの歴史はクラブの進化の鏡のようだ。
路線バスのラッピングの初登場は、支援団体の企画に乗っかる形だった。それが現在では、クラブ自らが結んだ地元企業とのスポンサーシップで実現している。
選手移動バスはただカッコよくチームカラーに塗り上げたものから、三ツ沢への結集を呼び掛けるアイコンとなった。
そもそもバスというのは、鉄道以上に地域性が反映される交通機関である。その地域の顔にクラブのラッピング車が加わるということは、Jリーグの掲げる地域密着の理念を実行できているという証ではないだろうか。
それを模型というカタチにできている現状は、ワタシにとってこれ以上ない幸せなのである。
なお、工作モデラー向けの製作記事は別個に稿を改めるので、今しばらく時間を賜りたい(需要があるのかどうかしらんけど)。それでは。
脚注
※1:「バスコレ」とは、TOMYTECが発売しているバスをモチーフとしたミニカーのシリーズ。主に1/150スケールで、鉄道模型Nゲージと同じ世界観でジオラマなどに組み込んで楽しめる点で人気を集めている。
※2:横浜FCとマリノス、プロ野球の横浜DeNAベイスターズ、プロバスケ(当時bjリーグ)の横浜ビー・コルセアーズ
※3:株式会社横浜フリエスポーツクラブが登記された1998年から起算。
※4:1969号車は東京ヴェルディのチームバス、1993号車はジュビロ磐田の観光ツアー優先車(磐田の選手用バスは自社所有車が別にあるらしい)。
※5:投稿後にtwitterで東都観光バスのチャーターを挟んだ時期があったのでは?という情報をいただき修正(裏取りできてないので「?」としている)。