近けりゃ見えるってワケじゃない
5年前、アウェイ徳島戦を前に鳴門の渦潮を見に行った。
海岸から見る、鳴門海峡大橋の上から見るなど、いくつか選択肢のあるなかで、ワタシは船で間近に見ることを選んだ。「近い方が迫力を味わえるだろう」という安直な理由だ。
天気も良かったし、渦潮の他にも鳴門海峡沿岸の色々なものを見られて楽しかったのだけれど、肝心の渦潮を見ることに関しては消化不良だった。
明らかに他所で見るのとは違う潮の流れだとはわかるのだけど、写真に撮ってみると、どうも船の生み出す水しぶきや波のうねりに埋もれてしまう。
その日、渦潮の規模が大きくなる「大潮」ではなかったのもあるのだろう。
見上げると、頭上の視界を大きな鉄骨が覆う。
渦はカタチだ。らせん状の流れに見えなければ、渦と認識するのは難しい。
橋の上から俯瞰して全体像を、輪郭を捉えればハッキリと渦潮とわかるような写真を撮れたのかもしれない。
日常生活や模型作りでも似たようなことが往々にしてある。
毎日のように顔を合わせている人ほど、少しずつの変化や成長には気づきにくい。実物を何度も自分の肉眼で見ているからといって、いざ模型をつくるといったとき、その構造を正しく理解できているとは限らない。
時に遠くから見つめること、肉眼以外の手段で観察すること、目に見えない情報で吟味すること。人やモノのカタチを知るために必要なことは、近くにいるだけではわからないのである。