モリーナのおかげ。
2021年、11月。
私は急に思い立って、何十年も前に離れた、
故郷のような島へ戻った。
私はその島で、
幼稚園から小4までの期間を過ごした。
小さい頃の私は、
その島の本当の価値を理解できず、
「住んでいる場所」としか思っていなかった。
今思い返すと、
その島で過ごせたからこそ目にすることができた自然や文化があった。
(それについてはまた書きたい。)
ものすごく、
この後の流れを期待させるような始まりですが、
その島での私の「おいしい記憶」の話です。
島で暮らし始めてから、
私は毎週必ず母といっしょに、
島の中心にあるピアノ教室へ通っていた。
その頃の私は、
ピアノが好きだから教室へ通っているのではなくて、
ただ親に手を引かれるまま、
自分の意思はそんなにないまま、通っていたと思う。
そんな気持ちの私が通い続けられたのは、
街の中心へ行けば、
何かおいしいものを食べられるかもしれないという楽しみがあったからだ。
(私は幼い頃から食欲強めの人間でした。)
私が通ったピアノ教室の、
通りを挟んだ向かいには、
「モリーナ」というハンバーガーショップがあった。
小さい頃の記憶なので、
店内の雰囲気をだんだんと忘れかけているけど、
「モリーナ」と聞くと、ピンクと白がぱっと思い浮かぶ。
私はピアノ教室への道中、
「今日はモリーナ行く?」と母にしつこく聞いていた。
ピアノ教室を終えた後も、
母が全くモリーナへ行く気配を出さないと、
「モリーナ行く?」と問いかけていた。
(食欲の強い娘で本当に大変だったと思う。お母さん、いつも娘の問いかけに付き合ってくれてありがとう。)
毎回でなはないが、
モリーナへ行くという願いが通じた時、
私はもう食べたいものを思い浮かべていたが、
その食べたい願いも、すべてが通る訳ではないから。
子供なりに考えて、母に希望を伝えたりした。
(晩ごはんの前だからソフトクリームだったらいいよって言ってもらえるかも、お昼ごはん食べてないしハンバーガーとポテトのOKもらえるかも!等々)
島を離れてからは、
モリーナよりも数倍、
多くの人に知られているハンバーガーやジャンクフードの味を知ることになったけれど、
いつまでもあの「モリーナ」を思い出す。
フライドポテトの美味しさも
「モリーナ」で知ってしまった。
もしかするとそこにある全てのメニューは、
普通の味だったかもしれない。
でも私にとっては、
すごく美味しかったし、楽しみだった。
数十年ぶりに島へ戻り、「モリーナ」へ向かった。
残念ながら、「モリーナ」はもうなかった。
そうだろうなとちょっと感じてはいた。
「モリーナ」のあった場所には、
雰囲気の違う別のお店が建っていた。
急に寂しい気持ちになった。
自分の頭の中には「モリーナ」での時間が浮かぶのに、
モリーナはもうない。
あーでも、こういう時に思い出は味方だなと思った。
いつかどこかで、
「モリーナ」のようなお店を見つけたら、
絶対に入ってみようと思う。