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【驚愕の証言】元幹部が語る“オウム教団の闇”

今回は、オウム真理教の内部事情について、

教団の元幹部であった上祐史浩氏が語った驚きの証言をお伝えします。


彼の話を通じて、教団内部で何が起こっていたのか、

その真実に迫ります。


上祐史浩氏は、早稲田大学で理工学を学び、

NASAでのキャリアを夢見るエリートでしたが、

幼少期から「超常現象」や「神秘体験」に強い関心を抱いていました。


大学時代に「オウム神仙の会」と出会い、

ヨガや瞑想を通じて精神を鍛えるといった修養に引かれ、

次第に教団の奥深くへと踏み込んでいきます。


その後、彼は出家し、

「緊急対策本部長」や「外報部長」として教団の対外的な顔となり、

「ああ言えば上祐」と称されるほど巧みな弁舌で注目を集めました。


当初のオウム真理教は、神秘的な瞑想体験を提供する団体として、

理論的なバックグラウンドを持つインテリ層にも人気がありました。


上祐氏は「解脱」や「悟り」を目指し、

激しい呼吸法などの修行を通じて「神秘体験」を追求する日々を送っていました。


麻原彰晃との出会いもここで果たし、

信者として教団活動に没頭していきますが、

最初は「ただのヨガ指導者」という印象しかなかったと語ります。


しかし、神秘体験が増すにつれ、教祖に対する信頼も

絶対的なものへと変化していきました。


上祐氏が幹部となった背景には、彼の論理的な能力と冷静な判断力がありました。

彼は「緊急対策本部長」や「外報部長」としてメディアに出演し、

教団の立場を弁護する役割を担っていました。


しかし、彼は一連のオウム事件の「真実」を知らなかったと主張していますが、

高い幹部職にあった彼が本当に知らなかったのか、という疑念を抱く人も多くいます。


1990年代にオウム真理教は数々の事件を引き起こし、

特に1995年の地下鉄サリン事件は日本社会に大きな衝撃を与えました。


当時、上祐氏は教団内で高い地位にありましたが、

彼自身は事件の計画に関与していないと主張しています。


しかし、麻原の側近でありながら、事件の計画を知らなかったという主張については、

現在も疑問が残ります。


後のインタビューで上祐氏は、

「真理を追求するあまり疑念を抱かない状態に陥っていた」と振り返っています。


教団内では、麻原彰晃がカリスマ的存在として君臨し、

家族や恋愛感情を切り捨てるよう指導が行われていました。


上祐氏もまた、その教えに従い、かつての恋人との関係を断ち切る決意をしたといいます。


しかし、麻原自身が愛人を持ち、子供も複数いたことが発覚します。


上祐氏は当時、その矛盾に疑問を抱くことはなかったと振り返ります。


上祐氏によれば、麻原が弟子たちに求めたのは「無条件の従順」であり、

神秘体験と教団のカリスマ性によってそれが強化されていたといいます。


麻原を絶対的な存在と見ざるを得ない環境で、教団内の矛盾は次第に薄れ、

「麻原は間違いない」と信じ込むようになっていったといいます。


信者たちの信仰の深さが、後の事件につながった要因の一つであったかもしれません。


1995年の地下鉄サリン事件後、上祐氏は逮捕を免れ、

2000年代初頭に教団を脱退します。


その後、彼は新たに「ひかりの輪」という団体を立ち上げ、

現在は仏教や心理学を学び、自己啓発活動に注力しています。


彼は「同じ過ちを繰り返させないため」に活動していると語りますが、

かつての過去については一部の人々から疑念が残ったままです。


オウム真理教の中心人物の一人として、

多くの事件に関わった上祐氏が今、どのような思いで過去を見つめ直しているのか。


彼が語る言葉は真実なのか、それともほんの一部にすぎないのか。



視聴者の皆さんも、彼の話を通じて「信仰」と「盲信」の境界線についてぜひ考えてみてください。


📺 動画もYouTubeで視聴できます。リンクはプロフィールから!

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