【感動実話】希望を失わずに…再起の物語
今回は、幼少期に聴力を失いながらも、自らの道を切り開いた一人の女性の実話です。彼女はどのようにして成功を掴んだのでしょうか?
斉藤りえさんは、幼い頃に突如として聴力を失いました。それ以来、彼女の生活は一変し、学校生活では次第に孤立を深めるようになります。周囲は、彼女の声を「変だ」と感じ、誤解やいじめの対象にすることがありました。そのため、彼女は次第に自信を失い、心を閉ざしてしまうようになりました。彼女が学校で学んでいた手話も、完全に周囲とのコミュニケーションの解決にはならず、彼女にとって大きな孤独感がつきまといます。
ある日、斉藤さんは孤独感と反抗心から万引きをしてしまいました。警察が呼ばれ、捕まるところでしたが、店のオーナーが彼女の耳が聞こえないことに気づき、警察に「これは誤解だ」と説明し、彼女を助けたのです。オーナーは「この子にこれ以上の罰を与えるのは適切ではない」と感じ、彼女に対して「もう二度としないように」と筆談で伝えました。その後、彼女と再会したオーナーは、「学校も辞めているなら、ここで働いてみないか」と提案し、彼女はその洋服店で働くようになりました。
洋服店でのアルバイトは、斉藤さんにとって人生を大きく変える出来事でした。お客様と筆談を通じてコミュニケーションをとり、人との接し方を学びながら、自信を徐々に取り戻していったのです。初めて「自分が役立てている」と感じた場所でした。
その後、彼女は友人に誘われ、青森でホステスとして働くようになりました。当初は、不安を感じながらも、彼女は筆談を活用しながら接客技術を磨いていきました。青森の「ママ」や先輩ホステスたちの支えを受けながら、斉藤さんはホステスとして成長していきます。やがて彼女は、東京で自分の可能性を試すため、銀座への進出を決意しました。
青森を離れる際、「ママ」は斉藤さんに筆談用の万年筆とメモ帳を贈り、「これでお客様との信頼を築きなさい」と励ましました。斉藤さんは涙ながらに感謝の気持ちを伝え、その万年筆を胸に、東京へと旅立ちました。
2007年、彼女は銀座の高級クラブでホステスとして働き始めました。銀座の競争は熾烈で、最初はうまくいかず、失敗ばかりの日々が続きます。しかし、彼女の筆談による丁寧な接客が次第に顧客の心を掴み始め、彼女の誠実な対応は、次第に多くのお客様に認められていきました。斉藤さんの接客スタイルは特別なもので、筆談を通じたコミュニケーションにより、お客様との深い信頼関係を築き、ついには銀座でナンバーワンのホステスとなりました。
ある日、彼女にとって大切なお客様から「もう店に行けなくなった」との連絡を受けました。そのお客様は、会社の倒産により人生に絶望していました。斉藤さんは「辛いに一本足すと幸せになる」という言葉を伝え、「辛いのは、幸せになる途中です」と励ましのメッセージを筆談で送りました。その言葉にお客様は救われ、再起を誓い「必ずまた店に行く」と約束してくれたのです。
銀座でナンバーワンとなった斉藤さんは、母親に「私、銀座で一番になったよ」と筆談で報告しました。母親は、かつて「何でもいいから一番になりなさい」と言っていたことを思い出し、涙ながらに「よく頑張ったね、リエ。お母さんの誇りだよ」と微笑みました。斉藤さんも「お母さん、産んでくれてありがとう」と、ぎこちないながらも声に出して伝え、母と娘は再び深く繋がりました。
現在、斉藤さんは東京都北区議会議員として、聴覚障がい者を代表し、社会の改善に向けて活動を続けています。
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