若者ケアラーになった感想
去年から祖父(と祖母)の介護者として活動している。わたしは今27歳なので、若者ケアラーってやつだ。
親世代は積極的かつ協力的な人物たちだが、それでも孫のわたしが主となって介護をしているのは、わたしが身内のだれより日中暇しているからだ。病気の都合でフリーランス(作家)一本というデンジャラスな状態だが、これが狭い範囲では大変都合がいい。
祖父も祖母も介護度は低く、最低限の部分ではふたりでなんとか暮らしているので、今のところTHE 介護という感じのことはしていない。が、THE 介護が発生する前に、すでに介護ははじまっているのだ。介護がはじまるまでそんなこと知らなかったけどな。
わたしがしている介護を簡単に説明すると、外付けの判断力&記憶力担当だ。あらゆるサービスを利用するための窓口担当と言えばさらにわかりやすいだろうか。連絡業務や書類へのサイン、金銭の保証人がいらないタイプの契約は、すべてわたしの仕事だ。あと、代わりに銀行に行ったり支払いをしたりもする。
今のところ楽勝介護なのだが、これが楽勝なのは、わたしがそんなに忙しくないフリーランスだからというのが大きい。介護とは、平日の昼間、比較的自由に時間の都合をつけられ、判断力があり、記憶力があり、なおかつ要介護者と良好な関係を築いている成人の身内が必要すぎる。はっきり言うが、我が家がレアケースなだけで、今どきそんなの無茶だ。
祖父(と祖母)の介護に携わる業者さんによると、判断力や記憶力が衰えているなか書類のあれこれをしないといけない高齢者も多いようで、よく「適当にサインしといて」と言われるそうだ。ちなみに、業者さんが適当にサインするわけにはいかないので、なんとか頑張って契約内容などを理解して納得してもらうらしい(この理解と納得の度合いはだいぶ人によるし、3分後には8割忘れてると思う)。
わたしは現時点では介護を結構楽しんでいる。たま〜にイラッとするが、祖父母とは仲良しだし、よく一緒にいることで昔の話を聞けたりして意外とおもしろい。あと、ふらふらしながら作家やってる、よりも、祖父母の介護をしながら作家やってる、のほうが圧倒的に人間ができてる感じがするので、わたしとしても好都合だったりする。Win-Winってやつだ。
ただ、介護で苦しむ人がいるのもわかる。わたしは都合よく時間があるし、祖父母の性格が穏やかだし、わたしたちは仲良しで気安い関係だから気楽にやっているが、それはつまり人間の状況や個体差に激しく依存している気楽さなのだ。これでわたしがフルタイムで働いていたり、祖父母がキツい性格だったり、もともと嫌い同士だったりしたらとっくに病んでる。介護度が高くなった場合は今はまだ想像が難しいが、やはりもともとの関係性に大きく左右されるのでは、と周囲を見たりしながら推測しているところだ。
祖母はよく「最後には家族だ」みたいなことを言う。ちやほやと可愛がってきた孫に世話を焼かれる老後を過ごしているので、たしかに一理ある発言だ。しかし、一人娘で、なんとなく結婚しなそうだな、と思っていて、今のところ子どもは産む気ないかな、とも思っているわたしは、少し背筋が寒くなる。
わたしの両親が要介護になったとき、わたし自身が要介護になったとき、わたしを支えてくれる存在はいるんだろうか?
なんかもう、家族単位で協力しろっていう昭和的感覚は古臭いし今どきセンスないから、人間がひとりで生きて死んでいける制度を早いとこ作ってくれよな、国。
おしまい