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私の居場所
抑うつ状態で休職中だったころ、私は他者とのかかわりを最小限にしていました。それは、どん底にいる自分と他者とを、どうしても比較してしまい落ち込むことが分かっていたから。自分がうまくいっているときの何倍もの負の感情を、他者に向けてしまうのを恐れたからです。
学生時代の友人や職場で良くしてくれた親しい人たちほど、なおさらです。
丸3か月、LINEの通知を消し、外出をせず、世間のニュースに耳をふさぎ、ネットも天気予報を見るくらいの最小限の利用でした。この間はもっぱら我を忘れてゲームや本の世界に没頭していましたね。
家族や彼女とは話していたんですが、それ以外の友人とは話す気にも、ましてや会う気にもなれなかった。
鎖国のような状態でした。
それから徐々に、家族に外食に連れ出してもらったり、心配した友人が銭湯に連れ出してくれたりと、ゆっくり外の世界に歩みだしました。
将来のことや仕事のこと、お金のことを考えられるようになり、テレビや新聞を見るようになっていきました。
抑うつ状態からの回復の第一歩は、私の場合「外の世界に踏み出す」ことでした。
あれから1年経ちました。あの頃は話す気にも会う気にもなれなかった人たちとの交流を再開しています。先週末も、全国に散った大学時代の友人とオンラインで旧交を温めました。みんな仕事で苦労しつつも、楽しい話が聞けて良かったです。
他者とのかかわりって、とてもエネルギーの要ることなんだと思います。
自分を開放しながら、他者に傾聴することは意外と難しい。
本当なら、布団の上でゴロゴロしていた方が何倍も楽です。
でも、その分得られることがある。
自分では経験できない話や異なった価値観と触れることができます。
また、コミュニティに属している安心感も得られます。
良好な人間関係を築けることは、その人の心が健康な証。
逆に、他者を億劫に感じたときは、心が少し疲れているのかもしれません。
私の中で転機となったのはnoteを5月に始めたこと。
自分が綴った文章に見える形で反応があるのはとてもうれしく、私にとっての新たな居場所になりました。
細々と、でも確かにいろんな人とスキやコメントを通じてコミュニケーションをとることは、人間関係を構築するのと同義。それができるということは、私は着実に成長しているし回復しているのだと実感します。
こうした、リアルやnoteでの人間関係が私を救ってくれました。
友達と会ったり記事を書くことが億劫になるときも正直言ってありますが、それ以上の喜びや楽しみを見出しています。
やはり、自分の居場所を自分なりに見出すことが、人の心を救うのかなと思います。
いろんな人と会い、きっかけを見つけ成長する。
人の本質はそこにあるのかもしれません。
病んでいた時はできなかった、人と触れ合うということ。
回復した今だからこそ、これからも、何歳になっても、色々な人と会い、自分なりの居場所を見つけていきたいと思います。
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