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「しあわせ」を考えてみた

「何かいい物語があって、それを語る相手がいる。
それだけで人生は捨てたもんじゃない。」
映画「海の上のピアニスト」より


最近、幸せを感じることが増えてきました。

気分に波はあるけれど、調子のいい時には本当に小さな幸せを見つけられるようになりました。

例えば、朝目が覚めると太陽が燦燦と降り注いでいる。
例えば、通勤途中のお店に素敵なシュークリームが売っている。
本当に些細なことですよね。
でも、休職中だった数か月前の自分では、決して感じ取れなかった感情です。
こころが快復してきた証でしょうか。

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やはり、復職後志願して異動させてもらえたのですが、
その後の環境が自分に合っているんだと思います。
以前の営業部のままだと、たぶん今でも毎朝えずきながら仕事に向かっていたでしょう。
自分に余裕の持てる環境に身を置くって、とても大事なんだと思います。

さて、本題ですが、自分なりに「しあわせ」ってどういうことか考えてみました。
結論から言うと、「しあわせ」には2種類あって、
・ふとした時に感じるもの
・脳が積極的に喜びにいくもの

に分けられると思います。

例えば、先ほどの朝日が照っていたりシュークリームを見かけるのは、前者です。
一方で、休日に好きな音楽を聴きながら調べ物をしたり、noteを書いたり、ゲームをしたりすること。
また、友人と馬鹿な話をして盛り上がるとき。
あるいは、家族や彼女と電話で話しているとき。
このように自分から働きかけて幸せになろうとすることで得られる幸せが、後者です。

そして、このふたつが自然と満たされる環境に身をおけて、
心に余裕をもたせる状態こそがベストなんだと思います。
心に余裕がないと、特にふとした時の幸せを受け入れる隙間がないので、
毎日が無味乾燥なものに思えて、悪循環の入り口に立ってしまうかもしれません。

だから、「しあわせ」を感じるためには、少なくとも私は、
適切な環境に身を置くことが最上の選択肢となるわけです。
本音を言えば、実家でのんびりできれば一番いいのですが、
今は仕事もありますし、自立しなければ。

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「しあわせ」を感じる動機や環境は人それぞれですし、
私のように環境に頼らなくても自分で幸せを作り出せる方も知り合いにいて、本当に十人十色だと思います。

なので、まずは自分は何をしているときに幸せを感じるのかを見つめなおして、それが行動なのか環境なのか判断してうえで、そこに自分を持っていく。
そこには必ずしも努力や運は必要ではなく、自然とそうなっていることもあります。
時の流れに身を任せてみるのも一興です。

長くなりましたが、それでも気分の波には抗いきれません。
いい時もあれば悪い時もある。
その波の大小をできるだけ抑えるべく、自分が一番落ち着ける方法を探すことこそ、「しあわせ」への第一歩かもしれないなと思うのです。

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じとめん
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