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未来に期待する
抑うつ状態で病んでた頃からは考えられない。
この私が、将来のために色んな情報を集めています。結婚、子育て、お金、キャリア。全て「未来」の象限の話です。
意識的に外部の情報を一切絶っていた1年前とは大違いで、自分でも不思議に感じます。
「人の回復力は、尋常じゃない。」
そう思います。
それもこれも、全ては「期待」から来ていることは明白です。あれだけ仕事や将来に絶望し、もはやこれまでだなんて思っていた自分が、たった1年でここまで来ることができました。
これは全て、支えてくれる全ての人々のおかげであり、そして私自身の持つ知られざるリビドー=「生への欲求」なのだと思います。
「そうか、私は生きたいのか。」
と思い知らされるようです。
全て自分で蒔いた種とはいえ、ほんの一瞬でも人生を諦めた経験がある私。そんな私だから、「未来に期待する」ことの難しさはよく分かります。
「これだけ周囲に迷惑をかけた自分が、生きることを許されるのか。」と布団の中で悩み抜いた夜も数日ではありません。
そんな自分がいまや、「結婚相手のご両親への挨拶」とか「資産形成」とかを貪るように調べている。
転機は都度あれど、やはり周囲の環境と意志の回復はとても大きな要素のように思います。
20代の1年ってとても貴重です。私は、他のみんなが相応の前進をしている時に、思い切り急停車しました。このことに意味はあったのか。若さを無駄にするような遠回りをしただけの価値が、この1年にあったのか。
今の私は、「価値はあった」と言えます。
胸は張れないけれど。
この人生最大とも言える挫折と、周囲の支えでそれらを乗り越えた経験は、もちろんお金では買えないし、望んでも得られない価値があるなと、思います。
だからこそ、この経験を無為にすることなく生きて行きたい。
その想いが、顔を上げ、未来を刮目させるのです。
もちろん、地に足をつけなければまた転ぶことは分かりきっていますので、自分なりのペースで。
ゆっくり、時々寄り道でもしながら、ぼちぼち歩いていけばよいのです。
うつで休職という、普通は起きて欲しくない挫折すら、人生の糧にしてしまう。
人というのは、元来幸せになるために生まれてくるのかもしれませんね。
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