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「青い鳥」を探すということ

他の方のnoteを拝読していて、気になる単語を見つけた。

「青い鳥症候群」

無学ゆえに響きからはどういう意味を持つか全く想像できなかった。

調べてみると、

青い鳥症候群(あおいとりしょうこうぐん)は、モーリス・メーテルリンク作の童話「青い鳥」(仏: L'Oiseau bleu)の中で「主人公のチルチルとミチルが幸せの象徴である青い鳥を探しに行くが、意外と幸せの青い鳥は身近にあることに気付かされる」ことから、「今よりもっといい人が現れる」「今よりもっといい仕事が見つかる」など現実を直視せず根拠の無い「青い鳥」を探し続ける人たちを指す通俗的な呼称である。

ウィキペディアより

らしい。

太字の部分、率直に言ってぐさりと来た。
まさに今の自分の状態を言い当てられたような気がしたから。

私は常々、今の職、立場、夢や目標がないこと等々に対して、
不安や不満を持っていると内外に宣言している。
それだけではいかん、愚痴を垂れるだけではいかんと、
異動願を出したり、転職活動をしたり、周囲に相談したり、
自分なりに手を尽くしているつもりだ。

ただ、そのすべてが、実は「青い鳥」を探しているに過ぎないのだとしたら...

そう考えると、いてもたってもいられず、自分を肯定してやりたい気持ちもあり、猛然とキーボードを叩くに至る。
でも、そうは言っても、人生に答えはない以上、自分が「青い鳥」を追いかけているかもしれないことには変わりがない。
だって、今より状況が好転するという根拠がないのだから。

例えば、転職先が無事に見つかったとして、そこに何を期待しているのか。
ワークライフバランスも、成長性も、待遇も、人間関係も、すべて期待通りであればそれでいいが、そこで期待が外れた時、また新たな職探しを始めるのか?
今の職場を見渡してみて、すでに得ているもので満足できないか?
となると、転職活動は「青い鳥」探しの旅なのだろうか?

考え出すときりがない。私の悪い癖だ。

ただ、こうも思う。


人生をより良いものにするためには、現在地に安住せず、更なる可能性を求めて、たとえそこに確証がなくても、探求し挑戦することが必要なのではないか。

いま、私は確かに根拠のない「青い鳥」を求めて四苦八苦している。
意外と近くにいるのを、見逃しているのかもしれない。
しかし、たぶんそれは必要なことなのだ。
さもないと、私はその性格上、現在地でずっとくすぶってしまう。
一生に一度も命を燃やさずに終わってしまう。

でも、そんな人生は絶対に嫌だ。
両親に頂いた、この命がもったいない。
支えてくれるすべての人に、何より自分に、申し訳ない。
だから私は、少しでも人生を良くしようと「青い鳥」を探すのだ。
たとえそこに、勝算や可能性がなくても、
むしろ人生を暗転させるリスクがあったとしても、
あんぐりと口を開けて現実を鵜呑みにするのではなく、
自分の足で、歩んでいくのだ。自分で道を、切り拓くのだ。
がむしゃらだって、迷走だって、それもまた人生なんだ。
楽しんで、前を向いて、「青い鳥」を、この手で捕まえよう。

たぶんこういう考えの人を、理想主義者とか楽天主義者、夢追い人っていうんだろうな。
ただ、私は生まれた時からそう運命づけられているんだと思う。
なにせ、私の名前には大きな夢を抱くようにと、両親の願いが込められているから。

つらつらと吐き出して、スッキリした。
とはいえ私は、休職明けの病弱の身。
人生は長い。焦る必要はない。
肩の力を抜いて、ぼちぼちと「青い鳥」を探すとするか。

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じとめん
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