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じいちゃんの手
1月16日、日曜日の午後。
「祖父危篤」との一報があり、慌てて帰省しました。
ちょうど母からその一報を受けた時は、婚約者御家族との顔合わせ用に礼服を仕立ててもらっており、「もしかしたら、これを喪服として祖父のために着ることになるかもしれない」と寂しい予感が頭をよぎりました。
その日はいつかくる、と覚悟せねばなりませんでした。
おろしたばかりの礼服と、追加で買った黒いネクタイを手にふるさとへ向かう道中。
心は揺れ、まとまらない感情が渦巻き、いつもなら音楽を聴くところその余裕もなく、ただ呆然と車窓を見やるだけの時間。
「間に合うかな」
という不安と心配が、窓に映る自分の顔に表れていました。
いつの間に帰ったのか、気がつけば実家に着き、タクシーを呼んで病院に向かっていました。
泊まりこみで祖父の隣にいる父から、「今のところ変化なし」との連絡があったので、少し落ち着き、何を話そうかと頭をめぐらす余裕がありました。
病院に着いたら父が出迎えてくれ、祖父がいる部屋へと案内されました。
時刻はもうすぐ月曜日になるところ。
ちょっとだけマスクの奥で深呼吸をして、部屋に入りました。
数ヶ月ぶりに会う祖父。
痩せて、弱って、息をするのもやっとな姿でしたが、紛れもない祖父です。
「会いに来たで」
と声をかけ、手を握りました。
「孫です。帰ってきたよ」と。
すると、虚ろに天井を見つめていた目が私を捉え、しばしの沈黙の後、微かに微笑んだのでした。
それはもう本当に「微か」な「笑み」でしたが、確かに祖父は笑いました。
嬉しかった。
「生きている間にじいちゃんに会えた。これ以上は何も要らない」と、そう思いました。
それから、色んな話をしました。
復職してからはなんとか順調に働けていること。
服薬している薬が徐々に減らせていること。
資格試験に合格したこと。
彼女にプロポーズして今年結婚すること。
ひとつひとつ、言い含めるように伝えました。
祖父は声が出せず、頷くこともできませんので、目の動きと握った手の反応でコミュニケーションをとりました。
祖父は「そうかそうか」と言うように目を動かし、
「よかったよかった」と言うように手を握ります。
そこには確かに、祖父の意思と言葉がありました。
私はその全てを五感で受け止めると同時に、とてつもなく、寂しくなりました。
祖父の前では泣くまいと決めておったのですが、少しずつ自覚できるほど、鼻声になっていきました。
そんなやり取りをしていると、祖父が口を動かしたので見てみると、これはもう推測でしかないのですが、「おめでとう」と言っているように見えました。
さらに、握った手に力が入るのを感じまして、何かと思うと、祖父が力を振り絞って両手をパチパチと叩き、拍手をしてくれたのでした。
もはや私は自分の感情を抑えられませんでした。
涙が止まらなくて、鼻水も止まらなくて、ワンワンと子どものように泣きじゃくって...
私は、言葉にできないほど嬉しくて、言葉にできないほどありがたくて幸せで、言葉にできないほど辛かった。
寂しいなあ。
もっと会いに行けばよかったな。
じいちゃん、よく「顔出さな忘れてまうで!」って冗談を言ってたけど、死んだらほんまに会われへん。
もっと一緒に出かければよかったな。
アクティブなじいちゃん、よく「ジム行かへんか」「山行かへんか」って誘ってくれたけど、その度に理由をつけて断ってしまった。もう一緒にどこにも行かれへん。
もっと話を聞けばよかったな。
じいちゃん、よく昔の話を繰り返すから、「あーまたか」って聞き流してしもたけど、もうその話も聞かれへん。
そんな後悔が次から次にあふれ出て止まらないのです。
こんなに優しい祖父に私は、一体何を返してあげられたのだろうか。
私はその愛に相応しい人間になれているだろうか。
情けなくて、申し訳なくて。
涙は止まりませんでした。
そうやってほとんど我を忘れて泣きじゃくっていますと、祖父がひとつ、おおきく息を吐いたかと思うと、手をこちらに伸ばしてきました。
なんだろうと思って顔を近づけると、祖父はその大きな手で、私の頭を撫でたんですよ。
優しく、力強く、愛のこもった手で、撫でてくれたんです。
もうそこに言葉は要らなかった。
ただただゆっくりと、孫の頭を撫でるのです。
もう私は、泣くことしかできずにうずくまっていました。
そして私は感情に任せて、この日1番伝えたかったことを、
「ありがとう」
という言葉を、伝えました。
震える声で、
「愛してくれてありがとう」と絞り出しました。
「大好きやで」と。
「自慢のおじいちゃんやで」と。
本当に、これだけは伝えたかった。
この一言を、これまで何度言いそびれてきたか。
チャンスは何度もあったのに、家族だとなかなか言えないものです。
それが言えました。
ほんとうに、それだけ。
その間も、祖父はその手を離しませんでした。
痩せても、老いても、弱っても、その手は大きく、ずっと私を包み込むのでした。
あれから1ヶ月あまり。
このまま復活するんじゃないかと思っていた祖父は、2月22日に旅立ちました。
私にとっては、あの夜がじいちゃんとの最後の時間となりました。
じいちゃんは最期まで、それこそ深夜という逝く時間すら家族を振り回すかのようで、頑固なじいちゃんらしさを存分に見せてくれました。
順番だということも、分かってます。
人はいつか死ぬというのも、分かってます。
でも、今はただ、寂しい。
しかし人は、大切な人の死を乗り越えて、強く生きていかねばなりません。
なんのために祖父が、父と私の年齢を足したほどの年月を生き抜いたのか、それに報いるためにも。
今日から3月ですね。
私も仕事に復帰して、日常に戻ろうと努力しています。
しばらくは落ち込むと思いますが、じいちゃんが空から見守ってくれていると信じて、明日も生きていきます。
じいちゃん、ありがとう。
さようなら。
またね。
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