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この世に生を受けたこと。それ自体が最大のチャンス。
私たち人間は、受精の確率で言うと3億分の1の確率で生まれてきたことになります。
また、生命が始まって以来40億年で、ここまで絶滅せずに来られた確率は15%だと言います。
こう考えると、私たち一人一人がこの世に生きていることは、奇跡以外の何物でもないように思います。
この世に生を受けたこと。
それ自体が最大のチャンスではないか。
-アイルトン・セナ(F1ドライバー)
まさにその通り。
「生きてるだけで丸儲け」と一緒で、人生は「生まれただけでチャンスに溢れている」のですね。
しかし私たちは、時に苦しみ、悲観し、絶望してしまいます。目の前の困難や壁を見て、「あ、乗り越えられないや」と思ったり、他の人との関係に悩んだりします。
そうした現実的な苦しみの前には、「自分が今生きている奇跡的な確率」なんか頭から吹っ飛んでしまう。
人間とは、そういうものです。
では、そんな"奇跡"の下に生まれてきた私たちは、苦しみ、悲観し、絶望する人生を送ることを強制されるのでしょうか?
それだとなんとも救いようのない話ですよね。
「生きることは苦しむことだ」と思って生きることほど辛いことは無い。
抑うつを経験した今の私にはよく分かります。
だから、苦しい時や辛い時は、少しだけ視野を広げて、今自分がここに居られる確率を思い出しましょう。
それは奇跡に奇跡が重なった、ほんとうに極少の可能性なのです。
私たちが生を受けるということは、そういうことなのです。
このように考えると、日々の苦しみは消えはしませんが、少しどっしりと構えられるんじゃないかな。
「私は奇跡が重なって生まれてきた。色んなことがあるけれど、どれも細事である。」と。
最近、私はそう思えるようになって、なんだかとても気が楽です。
明日はメンタルクリニックに通院する日ですが、良い経過を先生に報告出来そうです。
仕事や資格勉強、人間関係など、時に心が乱れる時もありますが、総じて見ればどれも細事。
取るに足らないことです。
「生きてるだけで、チャンス。」その思いは、気分を前向きにさせてくれています。
ただし、良い事があった時は、細事と思わず思い切り喜びます。
家族と話した、彼女と会えた、仕事が捗った、人に感謝されたなどなど。
自分本位でいいのです。
良い経験は思いっきり増幅して脳に焼きつける。
嫌な経験は細事と思い、流す。
このメリハリが、苦しい時にこそ生きる気がします。
生まれてきただけでチャンスなのです。
色んな失敗も妨害も困難もあるでしょう。
でも、生まれてきただけでチャンスなのです。
乗り越えられなくても、回り道でもいいので、
しっかりと自分の足でこの人生を全うして行きたいと思うのです。
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