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生きていくためのコンパスたち

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「人生とは」「生きるとは」 分からないことだらけの命題に少々の光を。
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#note毎日更新

”挫折”を知らない君へ

週末に友人と興味深い議論をしました。 ずばり、”挫折”について。 私は高校では不登校、社会人では休職など大なり小なり”挫折”と呼べる経験をしていて、そのたびに周りの人に「どっこいしょ」と起こしてもらっています。挫折を通じて、自分の弱さや周囲の愛を知り、身のほどを知ることや、背伸びするタイミング、自分のキャパシティなど多くのことを学び得ました。だから、私は挫折が人生を豊かにするのだろうと信じて疑っていません。 一方、件の友人は「挫折をしたことがない」という悩みを持っているそ

『努力』は簡単に人を裏切ります。でも、そんなもんです。

僕は昔、コンプレックスのかたまりでした。 幼いころ、10歳年上のおじさんにあたる お兄さんと暮らしていたことがあります。 いつも『にぃにぃ』と呼んでいました。 その『にぃにぃ』が 絵に描いたような天才で、 成績は常に学校でトップ。 弁論大会に出れば最優秀賞、 スポーツでも大活躍。 整理整頓はばっちり、 いつも、部屋はものすごくきれい。 モノをとにかく大事にする。 おまけに性格もすごくいい。 幼い僕から見ても 本当にすごい人でした。 学校を転校する際、 校長先生が家に来て

「あ、今つまんない人生送ってるな」みたいな感覚

ふと、そういう感覚になる時がある。 何がつまらなくさせているのかはあまり心当たりがないけれど、自分の中の「おもしろい人生」と比較した時に、そう感じるのだと思う。 自分自身の人生の過去・現在との比較ならまだしも、たいていは他人の人生との比較になってしまっている。 他人の人生と言っても、特定の一人というわけではなく、漠然とした「〇〇している/できる人生」といったイメージに過ぎない。 この1年間そう思う機会が、どういうわけか増えた。 周りの環境の変化が大きな要因だろうけど

「得る」より「失う」の方が、圧倒的に多いのに

何かを得ると「得たこと」にしか気が向かないけれど、実は同時にたくさん失っている。 冒頭いきなり、ネガティブに聞こえるかもしれないけれど、改めて実感してしまった。 しょうもないことで恐縮なのですが、「フォローするかどうかの線引き」についてモヤモヤしています😶‍🌫️素晴らしいnoterさんがたくさんいて、できるなら皆さんフォローしたいと思うタイプなのですが… わたしはフォローしたらちゃんと記事を読みたいし、いいなと思ったらスキやコメントを残したいのです。 そうなるとフォローし

成長とかキャリアアップとか、一旦忘れたい

成長するために。選択肢を増やすために。 僕らはいつまで口にするのだろうか。 「何歳になっても貪欲に成長の機会を求めているんです」としておきたいけれど、成長した先、選択肢を増やした先に何を見ているのだろう。 何も見ていなかったりして。 何も見えていないから、その言い訳として、成長や選択肢という言葉を好んで使っているのかもしれない。 もちろん、逆算で人生を生きていくことが正解とは限らないから、積み上げの考え方で、まずは成長を追い求めるのも決して間違いではない。 けれど

好きなことでもサボりたい時はある

「へー、読書が趣味なんですね!」 「最近も何か読まれたんですか?」 「いや、実は最近全然読んでなくて...。」 趣味ってこんなもんだよな、とふと思う。 趣味だからといって時間の許す限りそれをするわけではないし、いわゆる「好きなこと」にも熱量の波やモチベーションの浮き沈みはある。 本当にずっとやっていられる趣味や好きなこと、というのはごく稀なように思う。 「好きなこと」と聞くと、ずっとやっていられるイメージを持つし、一生飽きない気がするし、それを仕事にできたら最高なの