命乞いする蜘蛛 #毎週ショートショートnote
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ほんの一町ほど先の三の丸から火の手が上がっている。すでに日が暮れ、いつもであれば石落の隙間から吹き込んでくる風を冷たく感じる頃だったが、それが気にならないのは火熱のためだけでもないのであろう。
信貴山城の本丸、四層になる高櫓の最上階に座していた松永久秀は覚悟を決めた。取り囲むのは、信長の嫡男信忠率いる四万の軍勢。信長への三度目の謀反を起こし、ここに来て家臣の内通により追い込まれるとは報いとでも言おうか。もはや弓も折れ、矢も尽きた。
久秀の目の前に鎮座するのは平蜘蛛釜であった。蜘蛛が這いつくばったような奇妙な形の茶釜である。信長が再三に渡り所望し、此度もこの一口と引き換えに助命を提案してきたが一蹴した。彼奴の手に渡るくらいであれば打ち砕いてやろうと手を伸ばした時だった。
物見窓のすぐ向こうを火矢が天に向かって真っすぐに飛んだ。矢が現れると同時に、暗い床に、ぱっと平蜘蛛の影が差した。釜の羽の大胆な荒れがまるで足の様に伸び、影が巨大な蜘蛛の様に見えた。矢が上へ向かうに合わせて、影が手前に縮んでゆく。久秀には、それがまるで頭を垂れて命乞いをしているように映った。久秀の下ろした手が床に当たってこつりと鳴った。
天正五年十月十日、久秀自害。釜の行方は分からない。
<了>
たらはかに(田原にか)様の下記の企画へ参加しています。
▽ヘッダー画像は下記をお借りしました。本文中の平蜘蛛釜とは別のものです。
出典:ColBase