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過去の思い込み
おはようございます。
私は母から厳しく育った気がしていました。
それで厳しい人を見ると母の顔を貼り付けて、また怒られる、また怒っている、この人の機嫌を取らなくては、と気持ちがその人が怒らないように、機嫌を損ねないように最大限に尽くして、この人の願望の人間になってしまう、そして心はとても疲れている、もう嫌だと思っても引き返せないと言う、人間関係を作ってしまっていました。
これはいわゆる私が母と共依存関係を勝手に作ってしまっていた幼少期の記憶に遡ります。
厳しい女性を見ると、なぜかこの人は私を叱ってくる、『この人の思い通りになるものか』と否定的な気持ちになってしまっていました。
こんな思いをわざわざしなくても良かったのに、数年前の私は沢山、私を叱ってくれる女性が周りにいました。
それで私はそんな怒られている状況を周りが見ていることで、『被害者』になりました。
『被害者』である私は、『かわいそうに』『いつも怒られているね』『あの人から離れたらいいよ』『言い返してあげよう』などなど、たくさんの助けてもらえる人を、『被害者』になることで、増やしていた気がします。
一方で、私がしたいことは前に進めず、自分の本心も話せず、もどかしい日々を過ごした数年があります。
ある日、ある人と話していて、
『一度、お母さんに聞いてみたら?』
『なぜ、お母さんは私に厳しかったの?』
聞いてみたらいいということでした。
私はあんまり一緒に食べてなかったのですが、
近所に新しいお店ができたから
そのレストランのテラスでご飯を食べようということで
父母にお誘いを受けてテラスで夜ご飯を一緒に食べました。
ふとして、そうだ!いまだ!!!
『お母さん、聞いてみたいことあるねん!』
『どうしたん?』
『お母さん、私に厳しかったのってなんで?』
『え?私が厳しかった?』
とっさに隣にいた父が
『厳しくなかったよ!長女ですひとりめの女児で甘やかされてたよ!』
『えー!私、甘やかされてた?』
『あれ!なんでやろ、私厳しく育ったと、、』思い込んでたん??
『おばあちゃんに厳しくするように言われてたからかな!』『運動部に入らせるな』とかね。
『勉強を第一にさせなさいと言われてたよ!』
『えー!そうなん』
『じゃ、もう一つついでに聞きたい』
『なんで、お父さんは大学留年した?』
『あー!あれは万博のとき、おじいちゃんが
レストランと駐車場送り迎えのビジネスをし始めたから手伝っていて学校に一日も行けなかった』
『えー!そうなの?おじいちゃん、大阪万博のとき、ビジネスしてたんだ』
その大学を留年した時に遊んでいて、うちの母と知り合ったと言うことまで教えてくれました。
『大阪万博がなかったら留年してない、留年がなかったら母と知り合ってない、母と知り合ってなかっなら、、私も、この子(うちの子)も存在してないってこと??』
いろいろ判明した1時間くらいのことでした。
思い込みって怖いので、一つ一つ
母や父にも聞きながら解き明かしていきたいと
思いました。
to be continued