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仏のいえ(2023年8月)

5月頃から境内で「カッコウ、カッコウ…」と鳴き続けていた閑古鳥の声も、夏が過ぎるといつの間にかいなくなり、朝夕は秋の虫の声が響くようになりました。今年の夏は例年よりも暑く、信州の日中は36度を超える日々が続きました。それでも朝は20度位で、その涼しさで身体を休めることができているように感じます。

日本の夏といえばお盆。東京などでは7月に施食会や御棚経をする地域もありますが、無量寺では8月6日に墓地檀家の施食会供養を行い、8月12日から15日までがお盆期間として「棚経」というお勤めを行います。本来は、13日の午前中にお墓へご先祖様をお迎えして、お経を読んでご供養をし、16日にお送りするという、一年に一度、亡き先祖たちと過ごす数日間です。

16日の朝、お盆の間この世で過ごした馬と牛にお土産をつけて川に流します。

大悲心陀羅尼をお唱えしての供養を、四日間、大字片丘小字南内田地区の約300軒の家々を三人で回らせて頂きます。なるべく前年と違う家を巡るため、同じ家を訪ねるのは三年に一度。三年という年月は、子どもや高齢者がいると家族構成が変化するのに十分な時間でもあります。
私は、修行僧堂にいた時分から毎夏、無量寺のお手伝いに来ていたため、ここの棚経は六年目。村の地図や各家の家族構成が徐々にわかり始めてきました。しかし、毎年数名の方がご高齢や病気でお亡くなりなったり施設に入ったりで、もう会えなくなる方も必ずいらっしゃいます。無量寺に茶道や御詠歌のお稽古などで出入りしている方以外は、滅多にお会いすることのない村内の方々。日照りの中、棚経で歩いてお経を読んで回ることは、体力的に大変なことでありながら、一年に一度お目にかかれることが内心楽しみでもあるのです。ご病気になった、施設に入られた、お亡くなりになった、その知らせはわずか六年しか知らない私にとっても、寂しさを感じます。
四日間で、私は100回以上の「大悲心陀羅尼」を読みますが、信者さんにとっては一年に一度の「大悲心陀羅尼」。そう思うと、急ぐ気持ちを抑えながら丁寧にお唱えしたいと努めます。

コロナ感染症が騒がれなくなって初めての夏。やっとマスクを外してのお盆となりました。そして、南内田の「ささら盆踊り」が3年ぶりに開催されました。青山老師が子どもの頃は一週間行われており、数年前まではお盆の三日間行われていた「ささら盆踊り」ですが、近年は一日のみの開催。感染症がまだ完全になくなったわけではないので飲食厳禁でしたが、子ども向けのヨーヨー釣りや金魚すくいが用意されていました。そして、樹齢約400年の仁科桜の横にやぐらを立て、桜を一周するようにささら踊りが舞われました。

桜の横に櫓をたて、その周りを踊ります。

かつて塩尻市南内田地区と隣の松本市内田地区には「内田の牧」と呼ばれる飼育牧場がいくつもあり、皇室に献上する牛や馬を育てていました。古代・中世において牛馬は貴重な家畜であり、牛馬の飼育の場も国家による制度化が行われていたのです。人々が育んだ献上馬を送り出すのは8月15日と決まっており、送り出す時の「身振りと手振り」が「ささら」で表現されました。「内田の牧」がなくなってからも、盆踊りの中で「ササラ踊り」として継承されてきたのでしょう。内田という地名の通り、ここは昔から田んぼの多いところ。車がない時代には、馬牛は献上するだけでなく農家にとって大切な存在だったのだろうと思います。「ささら」の音は、この村を営んできた馬や牛へのご供養として私の心に響きました。

ささらを奏でる青山老師

コロナ感染症による緊急事態宣言をきっかけに、人々が集まる行事が矢継ぎ早に縮小・中止となりました。冠婚葬祭も家族のみという形が増え、御斎もほとんどの場合「お持ち帰り弁当」となりました。そうした中で、大きな行事を再開することは準備や片付けの手間を考えると容易ではありません。しかし、盆踊りなど古くから続く行事には意味があります。集落の方と顔を合わせる時間であり、日常から離れて踊りにトランスする身体は肩書きなどを捨てて自然と一体化する時間でもありました。お互いに協力することで人との繋がりを感じ、踊りを通して宇宙との繋がりを感じる、これはパソコンやスマフォに繋がりすぎている私たちに必要な感性だろうと思います。境内での飲食や直会を含めての「ささら盆踊り」、近い夏に行われますように。そう願います。

ささら踊りの中心になる仁科桜は、梅林周山庵主様が無量寺を再興開山した当時に樹齢300年で、その計算であれば現在は400年だと言われています。

明治末の頃、当時樹齢300年と言われていた仁科桜

その実生から育った仁科桜も4本ほどあり、他にも様々な木があります。戦中は燃料として木の伐採が命じられ、参道にあった杉並木は姿を消したと言われています。今では、桂や銀杏、杉などは無量寺の目印になるほどの高さになり、仙宗庵主様が戦後に植えた深山ツツジが参道を飾り、境内の中を椿や卯木、梅や蝋梅など数々が、季節毎に咲き誇ります。
無量寺で新しく得度する方は山に根付きの松を採りに行き、得度式は花の代わりに松を飾ります。得度だけでなく、嗣法や晋山式も同様で、式が終わると飾った松を境内に植えていました。植える時期(得度の季節)が悪いと枯れてしまうので生き残っている松は数本。「これは大仙さんの松」「あれは浄光さんの松」というように、今ある松一つ一つに謂れがあります。松は、常緑樹で1年中青いため「永遠の命」の象徴であり、また松の葉が落ちる時にはすでに新しい葉が芽吹いているので「法が途切れない」という縁起につながると聞きました。
そんな中、今年は2本の松が枯れてしまいました。近年、日本では松枯れ、楢枯れと、木々が枯れる被害が後を絶ちませんが、マツ材線虫病や酸性雨、大気汚染、水分の供給不足など原因は定まっていません。松本でも山全部枯れ、止むを得ず伐採して禿山になっているところもあります。枯れるという原因は私たちの生活の中にある、決して人ごとではない、人間中心の生活から自然中心の生活へどのようにシフトできるか、大きな転換期でもあるように感じています。自然の中にいる自分は、自然の一部である。大地でつながっている樹木と私は、私自身を整えることで樹木にも影響していくのだろうと思います。まずは坐ること。忙しい毎日の中でも、少しだけでも坐れますように。


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