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仏のいえ(2024年3月)

今年は3月に入ってから二度も大雪が降りました。水分が多く重い春の雪、本堂の屋根から落ちる度に大きな音を夜通し響かせ、朝、目が覚めると中庭に立派な雪山が出来ていました。畑も3月18日まで雪一面でしたが、雪が溶けると同時にセツブンソウが現れました。
なんと言っても3月の一番の楽しみは、小さくて愛らしいこの花に会えること。旧暦の節分の日の頃に咲くからついたこの名前、確実に冬が終わったことを知らせてくれます。でも、去年はセツブンソウを見に行った直後に猫のミミちゃんが道路で轢かれてしまったので、花を愛でながらミミちゃんを思い出して供養をしました。

セツブンソウ


旧暦2月15日はお釈迦様のご命日。毎年、山内では3月15日に涅槃会を迎えるために、13日に「やしょうま」作りをしています。信州では涅槃団子を「やしょうま」と呼んでいますが、諸説あるようです。

(1)「やしょ、うまかったぞよ」
お釈迦さまが亡くなる直前、ヤショという弟子が米の粉で作っただんごを進ぜたところ、おいしそうに召し上がった。そして「ヤショ、ウマかったぞよ」といって息を引き取ったという。そこからこのだんごをやしょうまと呼び、命日の涅槃会に作って仏様に供えるようになったという話です。

(2)「やすだら姫」
奥様であるやすだら姫がお造りになり、お釈迦様に食べさせたという話。この「やすだら」が語源。

(3)馬に似た形状から由来
箸などを押し付けて中央がふくらむようにしたその形が痩馬(やせうま)の骨張った背中、馬の耳、馬の鼻、馬の足などに形が似ているところから来ているという話。やしょうまを持っていると年中病気にかからないとか、馬のクラの中に入れておくと馬がケガをしないなどの信仰がかつてあり、馬との結びつきは強いようです。

コモリ餅店HPより

米粉3キロに熱湯を注ぎ、熱い熱いと言いながら棒や手で混ぜていきます。粉状のところがなくなったら、握り拳大くらいの大きさにまとめて蒸し器で蒸します。全体的に火が通ったら取り出し、着色料で色をつけ、出来上がりを想像しながら太巻きのような棒状にしていきます。半日経ったところで輪切りにしてお供えをします。定番は、お花や虹やマーブル模様。毎年異なる模様は一年に一度の楽しみです。そして、3月15日、お釈迦様の命日に「大仏頂万行首楞厳陀羅尼」をお唱えします。

今年のやしょうま

以前、輪島市永福寺様、興禅寺様からお送りいただいたのは動物の形をした可愛い「犬の子」と呼ばれる涅槃団子。お釈迦様の臨終に駆けつけた十二支を元に作られるそう。涅槃会の最後には「犬の子まき」が行われ、この涅槃団子を頂いて一年の無病息災を祈ります。今年は能登半島地震の直後でしたが、3月16日に檀信徒の方が集まり恒例の行事を行っていただけたことをお聞きしました。そこに一人でもいる限りお寺を守り、檀信徒さんを想う方丈様のお心遣いに触れ、温かな気持ちにさせて頂いました。現地を経験していない私が何か思うこと、伝えることはできませんが、皆様の安寧を心より祈るばかりです。

ーー犬の子作りましょうよ!と檀家さんの発声でやる事が決まったそうです。まだ輪島市門前町は水も出ていなくて、避難所から駆けつけた檀家さん達。みなさんすごく楽しそうでした。
ーー興禅寺の涅槃会が終わった。被災者ばかりの中で開催できるとは思っていなかったので少なからず感激、感謝。今日の出会いがこれからも続く避難生活や復興の歩みの力となってくれれば本望これに過ぎたるはない。これからが復興の本番である。合掌。

興禅寺涅槃会に参加された方と方丈様の記事より
輪島市の涅槃団子


無量寺では、檀信徒をお迎えしての涅槃会は行いませんが、3月の参禅会で参禅者と一緒に涅槃経をお唱えします。お釈迦様が亡くなられる直前の最後の説法と言われ、正法眼蔵八大人覚にもその教えは伝えられています。そしておみやげに「やしょうま」を持って帰っていただいています。

涅槃会参禅会

先日、檀家さんが急逝されました。数ヶ月前に伺った時はお元気だったので、突然の報せに私たちは戸惑いました。「お風呂の中で寝てしまったようで、朝見つけた時には、、、」とご遺族。突然のことで、悲しみがとても深いものであることは確かなこととしてありました。
葬儀の導師を勤めた青山老師がご遺族へ、お母様の突然の別れから私たちは何を学ぶことができるかについてお話ししてくださいました。「死は、予告なし、まったなしに来るものです。いつお迎えが来てもよいような毎日、毎時間の生き方をしなければいけません。同時にそういう生き方をすることこそが、なき人への最高の供養なんだということも忘れてはいけませんね。」私は今、老僧御三方と生活をしていて、時に救急車を呼んだり救急外来に駆けつけることは珍しくありません。幸い大事に至っていませんが、いつ何時に、その時が来るか緊張をしているのが正直なところ。イライラすることがあってつい言葉にしてしまうこともあるのですが、お互いに一期一会の出会いを宝として生きていきたいと省みることばかりです。

3月20日、2012年頃からお世話になっていた原田道一老師様が遷化されたと報せを受けました。原田老師様は、アメリカ合衆国ネブラスカ州やミネソタ州で参禅されていたこともあって外国での禅事情にも詳しく、アメリカで得度をした私のことを気にかけてくださり度々ご連絡を頂いていました。
私がある方の看病をしていた時に「赤ん坊と病人と老人(誰かの手を借りなければ生きられない存在)が、最も尊い姿です。大変だと思うけれど、その時間を大切に」と仰っていただいたことが、今の生活にも響いています。ただ、11月にお電話を頂いた時、調子が決して良くなさそうだった声の表情に、私は同事同悲の気持ちを持てず、用件のみで電話を切ってしまったことが心残りとなってしまいました。しかし、仏道を通して御恩返しをしていくしかありません。ありがとうございました。
令和6年3月20日 正宗寺17世 佛心道一大和尚 行年91歳 合掌

猫のミミとチャチャは、お寺の前の県道に飛び出し、車に撥ねられて亡くなりました。令和4年11月にチャチャが、翌年3月にミミが後を追うように同じ場所でした。さっきまで居間で寝ている穏やかな風景だったのに、予想もしていないことでした。

「お釈迦様は『死』こそが、この世で確かなものだと言える現象だ」と説かれています。そして、その準備を怠ることを無知の行為だとも仰っています。準備には二つあり、一つは「死とは避けられない現実だ」ということ、もう一つは「自分も確実に死ぬのだ」ということ、を忘れずに生きること。避けられない、自分ではどうしようもできないこと、「死」を含めてそういったことばかりである現実と向き合い、わからない、どうしようもできない日常であるからこそ、いまこの瞬間を大切に生きていくしかないのでしょう。

老梅樹忽開花・一花両花無数花(余語老師)

例年通り、3月下旬に梅が咲き始め、雪割草や水仙、クロカッスなどが次々と咲き始めています。境内にはキジバトやイカルの声が響き始めています。春そのものは形を持たないけれど、花々が咲いたり鳥の鳴き声を聞くことで春を感じることができます。土も柔らかくなり、日の出も一気に早くなり、陽の光も徐々に強くなっていきます。自然の一部であるわたしたちの心も身体も変わっていく、のどかな春心を味わいたいと思います。

※表紙の写真は3月30日に撮影した雪割草です。

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慈正
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