新自由主義の荒涼たる砂漠に、武満徹の音楽が似合うということ 小林正樹「切腹」(松竹1962)とその音楽
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狩野英孝という芸人を密かに応援している。というのも、彼が東北の某所に鎮座する由緒ある神社の息子で、「そんなバカなことやってないで、早く神社を継ぐための修行をすべし」のようなことを常々言われてきた、と聞き、いや、これは本当に我が事のような話だと思ったからなのだ。さらには、当連載の第16回でも言及したように、地方が疲弊してきた昨今、いくら由緒がある神社であろうと、東北の田舎で神職をやっていくのが大変でないわけがない。と、なると、言う側の複雑な胸中も透けて見えるようで、こうしたことにも身に覚えがないわけではなく、やはり応援するしかない、ということになるわけなのだ。
さて、しばらく前のこと、ぼんやりとテレビをみていたら、そんな彼を歌手としてデビューさせるという、極めて手の込んだウソを長期間に亘って仕込んで行く番組を放送していた(いわゆる「ドッキリ」という奴だ)。元来ミュージシャン志望で自ら作詞作曲もするという狩野は、徹底的におだて上げられ、それゆえに滑稽な勘違いを重ねて行く。この姿に、VTRを観る芸能人たちが次々に突っ込みを入れ、笑い転げるわけだが、ちょっとまて。狩野を嘲笑しているあなたは、人を嘲笑できるほどの音楽活動をしていたかしら?
実際、そこに出演していたタレントの一人が、他の番組の企画で歌っているのを聞いたことがある。まあ、曲も歌唱も微妙なもので、正直狩野との音楽性の差異があるようには感じられない。両者を隔てるのは、片や番組のドッキリ企画、片や大物司会者のプロデュース、という程度の差でしかなく、そのタレントには人を上から目線で嘲笑するだけの実力的根拠などありはしないのだ。
この胸糞悪い企画に秀逸な点があるとすれば、狩野とそれを嘲笑する芸能人の関係が、現代という時代のある側面の戯画となっていることだろう。格差は努力差と喧伝する方々がいるが、そんなものにどれだけの説得力があるというのか。同一価値労働に同一賃金が支払われるという原則が確立していない日本では、同じ仕事をしながらも正社員と派遣社員とでは給料にも社会保障にも違いが出てしまう。いや、もちろん、努力して高いステイタスを維持している方がいらっしゃるのは事実だろう、だがそれ以上に、たまたま就職した時期が売り手市場だったというような、めぐり合わせの良し悪しに起因する格差ばかりが目に付くように思うのだが。
小林正樹「切腹」の世界
さて、優れた映画は世代を超えて世の中の真実を語る。小林正樹の「切腹」が、まさに現代の観客のために作られたとしか思えない作品となっているならば、まずこのことをもって傑作として褒め称えるべきだろう。
寛永庚午七年、江戸の井伊家の屋敷に元芸州広島福島氏の家臣:津雲半四郎(仲代達矢)と名乗る浪人があらわれる。元和五年、主家が没落して以来、領地を離れて江戸に出、裏店に居を構えつつ再度の仕官を望むが、何せ天下泰平の世の中、仕官の口などあるわけがなく、ならば、いっそ腹を切って武士らしい最期を遂げようということで、玄関先をお貸し願いたい、と口上を申し述べる。
それを聞いた井伊家江戸家老:斎藤勘解由(三國連太郎)は顔を曇らせた。「また、来たか」。と、いうのも、とある藩の江戸屋敷で、かつてそのような口上を述べた浪人を、「近頃天晴な心構え」と取り立てたことがあったのだという。爾来、大名屋敷へと押しかけては玄関先で腹を切るという浪人が続出しているのだ。もちろん、玄関先で腹を切らせるわけにはいかないし、仕官させるわけにもいかない。よって、幾らかの金銭を渡してお引取り頂くわけで、これはまあ、形を変えた強請りに違いない。
斉藤は津雲に向かい、かつて千々岩求女(石濱朗)という浪人が同様の口上で訪ねてきたことを話はじめる。「同じ芸州福島藩の浪人、ご存知ないか?」「いや、お家ご隆盛の折、家臣は一万二千人を数えたので」。その際、このような者に金銭を渡して帰したとなれば、井伊家の名折れ、家中の人々は一計を案じ、中庭を貸して本当に腹を切らせてしまった。しかも、千々岩の二本差はどちらも竹光。武士の魂を売り渡すとは武士の風上にもおけない、と、その竹光を使っての凄絶な切腹をさせたという。
「では、ご貴殿はいかがなされる心算か?」。斉藤は津雲にそう語りかける。正直を言えば、そんな凄惨な状況を再現するなんて御免被る。津雲がこの話に怯んで逃げ出すことを望んでいるのだ。だが、津雲は全く意に介さず、「拙者の大小はその千々岩とやらとは違い、竹光ではない。心配召されるな」とあくまでも腹を切ると主張し続ける。津雲が井伊家を訪ねてきたのにはそれなりの理由があるのだが、それは謎解き的に少しずつ明らかになっていく。
恐るべきスタッフワーク
水も漏らさぬ綿密さで構成された脚本は今年90歳になる橋本忍によるもの(再録注:橋本は2018年7月歿。享年100)。黒澤明の「羅生門」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」などの脚本を担当し、「私は貝になりたい」の原作・脚本でも知られる大ベテランの、最高傑作と言って良い脚本である。時代劇であるから、幾らか斬り合うシーンはあるものの、これは殺陣で魅せる映画ではない。むしろ、津雲と斎藤との間で交わされる、その身、その立場を賭けた言葉による斬り合いこそが身上なのである。小林は極めて様式的な撮り方をしており、津雲と千々岩が井伊江戸屋敷を訪ねて口上を述べるシーンも、寸分違わず同じセリフを同じ立ち位置で述べる。津雲と斎藤の会話では、その切り返しのタイミング、それぞれの発する言葉と画像設計の関連。どれもが徹底的な思考を背景に精密に組み立てられており、これぞプロフェッショナルによる映画と驚嘆するほかない。
音楽は、当時30代になったばかりの武満徹によるもの。琵琶の音が素材として使用されているが、もちろん、時代劇に邦楽器を使用したというようなお手軽なものでは決してない。琵琶の音には時に電気的な変調がなされ、その音の立ち上がりの切先はどこまでも研ぎ澄まされ、二人の登場人物との間で交わされる会話を、美事(というのは武満がしばしば使った当て字である)に角付けしていく。立場の違うもの同士の会話というものは、しばしば荒涼たる砂漠のようなものだ。武満の厳しい音楽はそうした場によく馴染む。時には、素材を録音したテープを逆回転し、裁断したような音も聴こえ、これは坂本龍一が大島渚の「御法度」(1999)のために書いた音楽に、直接的な影響を与えているように聴こえる。
津雲半四郎は、武家社会の非情さ、その体面だけを取り繕ったかのような欺瞞へと切り込んでいった。その欺瞞は、狩野英孝を嘲笑する芸能人から感じられるものや、「格差は努力差」という空虚な標語と全く同じ種類のものだ。だからこそ、この映画は今こそ多くの人によって観られる価値がある。そしてこれを観るならば、安易な感情移入へと傾斜しない武満の音楽。そうしたものが現在において同様の問題を伝えるメディアには一切欠けていることが理解されるに違いない。現代はもはや、甘々なBGMで装飾されるべき世界ではないのだ。