アートと私の関係
アートが好きだ、と思う。
元々アートが好きだったわけではない。
多分、ここ2~3年の話だと思う。
小さい頃は図工も美術も苦手教科だったし、
世界史に出てくる美術史も全く興味がなかった。
今ですら、美術史にも美学にも詳しいわけではない。
でも、この数年、アートに強烈に惹かれている、という感覚がある。
これは、そのルーツを辿るための記録である。
2020年ごろ、当時大学4年を休学中に、
ライフコーチングというものを学び始めた。
これも学び始めるきっかけを話し出すと
長くなるのでここでは書かないが、
とにかく没頭して時間を割いて学んでいた。
学びの旅もしばらくして、
順当に「守破離」の「守」に区切りがついた頃、
色んなコーチ仲間とセッションを組んでいた。
学んだことをどんどんアウトプットして
フィードバックを得て、
"自分だからできるコーチングは何か"を
模索したかったからだ。
そんな中で、ある日、とある信頼するコーチ仲間とのセッションを終え、
フィードバックをもらう時間になった。
その時にしたセッションは、3年も前のことなのに珍しく憶えているのだが、
学んできた体系的なことと、
まだ言葉にはなっていないが自分の何かしらのエッセンスが
うまく融合された時間だった。
その時、そのコーチからもらったフィードバックが、
今の自分に大きな影響を与えている。
それが、
「やよいさんのコーチングは、アートみたいだね」
という言葉だ。
「独創的。
穏やかな雰囲気だが、受けていて、トントントンとステップを上がっていくような軽快さも感じる。
素直さが表れていた。固定観念とかをあんまり感じない、評価されている感じがしなかった。」
そんなふうに、彼は伝えてくれたのだった。
当時の私は今以上にアートが何なのかも分かっていなかったが、
確かな感覚としてあったのは、
今これ以上の褒め言葉は無い、というくらいの嬉しさだった。
元々自分は左脳派か右脳派かでいえば完全に右脳派だったし、
クリエイティブなことも好きだった。
でも、そのクリエイティビティがコーチングや対話に活かされる、
しかも他人からそのような認知を受ける、ということがこれまでなく、
「誰にも言ってこなかった、
自分だけが自分のクリエイティビティを好きでいれたらいいと思ってた、
でも、同時にずっと誰かに見つけてほしかったの」
と、自分のインナーチャイルドがわかりやすく飛び跳ねているのを感じた。
ここで自分自身で感じた変容は、
コーチング修行中だった私が、
自分のセッションを多分初めて「ちゃんとコーチングだった」と
認めてあげられたこと、
そして、自分のコーチングには自分らしい色がある、ということも
同時に認めてあげられたこと、である。
そんなふうにして「アート」は自分のコーチングのらしさを形容する
ひとつの言葉として、私の身体に舞振ってきたのである。
そこから、「アート」という概念にとりわけ敏感になり、
コーチとしてのアイデンティティだけでなく、
一人の「自分」としてもっと「アート」を取り込みたくなったのだと思う。
今では、アートが自分の仕事の一つになるくらいに、
自分の人生で大事にしたいことになった。
個人的に、アートは言語で語り切るのが到底むずかしい領域だなと思っているが、
その人が体験してきたことの中で
大事にしてきたこと、許せないこと、
執着していること、守りたかったこと、選び取りたいこと、
そんな色々が表現されたものだな、と思う。
そんなふうに、アートと自分の関係を紡ぎ直してくれた
あの時のあの時間、あの人からの言葉を今でも愛おしく思う。
当時彼はその一言が私にこんなに衝撃を与えるとは
まさか思っていなかったと思うが、
こんなように、ふとした一言、でも嘘ではない一言が
一人の人生に、長〜く深〜く絡みついて、
溶け合っていくことがある。
だからこそ、自分も心から湧いてくる感情には素直でいたいし、
伝えられる相手がいるのであればそれを伝え続けたいなと思う。
そんな、アートと私を繋いだお話でした。
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